メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

モルモットにされた被爆者  

2018年08月08日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



広島・長崎への原爆投下は、戦争を終結させたいと願う天皇とその側近にとって、本土決戦を主張する「徹底抗戦派」を封じ込めるためのシナリオだった。しかし、その被害の大きさ、悲惨さは想定外で、終戦1ヶ月も過ぎると、被害報道は禁止された。しかも、「今後70年は草木が1本も生えないだろう」との噂を否定し、アメリカからの調査団が、早々と「放射能の汚染は無くなった」と発表し、生き残った人も次々と原爆症で死んでいく事実が伏せられたのである。マッカーサーは「アメリカは原爆被害者の救援をする必要はなし」と日本政府に通告し、日本政府は、スイス、ジュネーブの国際赤十字からの救援を断ったという。アメリカは、原爆の被害を他国に知られたくなかった。「原爆がいかに人道場許せない結果を招いたか」などと、世界にアッピールされることは、アメリカにとっては、対ソ外交上も不利であったからだ。もう一つは、原爆の効果を測るデータは、アメリカだけの極秘にしたかった。生き残った人たちの証言は、「病院に行けといわれて、てっきり治療してもらえるのかと思ったら、全身裸にされて、じろじろ見られ、被爆した時の場所、爆心地からの距離などを細々聞かれただけだった。その後も定期的に病院に行かされたが、その都度、病状の経過を測定するだけで、治療はなにもしてもらえなかった」という。こうして、治療も受けられず、毎日何人もの人が死んでいった。もっとも、原爆の治療法など、当時のアメリカも判らなかった。広島・長崎の被爆者は、原爆症のモルモットにされたのだ。その代償として、天皇の地位は保全され、国体は護持され、日本はアメリカの統治によって、ある意味では信じられないほどの“恩恵”に浴することになった。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ