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平成の虚無僧一路の日記

運輸秘書官の見た終戦秘話 

2018年08月08日 外部ブログ記事
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この時節、毎年アップさせていただいております。再掲です。
私の叔父牧原源一郎は、終戦時国会議員で小日山運輸大臣の秘書官だった。小日山直登氏は、戦局不利となった昭和20年5月、東条英機の後を受けて組閣された鈴木貫太郎内閣で、満鉄総裁から運輸大臣に登用された。小日山氏は会津出身で、大臣就任とともに、同郷の代議士牧原源一郎を秘書官としたのである。その牧原源一郎が『小日山直登を偲ぶ』という本を遺している。それによると、「小日山運輸大臣は、秘書官(牧原源一郎)を伴って、九州各県の慰問のため、7/18 東京を発ち、佐賀、長崎、熊本、鹿児島、宮崎、大分と1週間かけて巡回。帰途、広島に立ち寄った。西部司令官の畑俊六元帥、広島県知事の高野源進氏もともに同郷人(会津出身)であったから、その夜、会食を共にした。この晩も多数の敵機が上空を飛んでいたが、一発の焼夷弾も落とさない。市民は「広島には爆撃は無し」と考えていたようにも見受けられた。ところが、その日から10日たった8月6日には、原子爆弾を投下され、高野知事の夫人も死亡された。畑元帥と高野知事は幸いに難を免れた。翌日は、大阪で当時大阪鉄道局長をされていた佐藤栄作氏(後の総理大臣)が出迎えてくれ、この日は、佐藤局長の案内で京都に遊んだ。その夜、東海道大垣付近でB29の大空襲に遭遇した。そんなことがあったため、予定は随分遅れて、29日に漸く東京に帰ることができた」と記されている。
東条英機にも面会している。東条は「もう自分でも、どうしたら                                   よいか判らない」と弱気だったとのこと。

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