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<心に成功の炎を>98 

2018年07月30日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 <訓言二十四> 人生50年 生きている以上はみだりに死ぬことは許されない。と同時に みだりに生きることは許されない。
 
 ところが おおむね多くの人々はみだりに生きているから 人生の三大不幸という病や煩悶や貧乏というものに犯されがちだ。だから 病 煩悶 貧乏というのは この論理から結論すると 自ら招いたことになりますね。
 現在 病をもったり 煩悶を持ったり 貧乏な人は ここいらで反省しなきゃだめだよ。<ああ そうか 私は貧乏神と縁が切れない人間かと思ったら そうじゃなかった。自分で招いたことなんだ>。そうですよ あなた方のほうで持ってウインクを与えるから 貧乏神がくるんだ。変なものにウインク与えなさんなよ。
 それから <玉磨かざれば光なし>の歌にもあるけれど 石も磨けば玉になることがあるんだ。これを忘れちゃだめだ。<私なんかだめだ>と捨てちゃだめだ。また人間てやつは 百歩譲って いくら磨いてても玉にならないとしてもだよ 磨かない玉よりよくなるぜ。ここいらが非常に味のあるところじゃないか。
 私はいつも こんな気のきいたことを言いながらもね 自分を知っているのは自分です。50年前の私なんてものは はしにも棒にもかかる男じゃなかった。そりゃもう人生の 多くの人が夢には考えていても本当にやらなかったような悪いことを とことんまでやってきた男だもんねえ。人殺しはする。詐欺はする。泥棒はする。それしなきゃ その当時の私の仕事はできないんだから 満州や蒙古にわざわざ泥棒や詐欺をしに行ったんだ。それもしょうがねえやね 国家が命令するんだから。だれが好んで生きてる人間の命なんか 虫一匹だって殺したくないのが当たり前だけれども やむにやまれなきゃ そりゃもうしょうがない。
 欲しいものを素直に渡してくれりゃ だれも命なんかとりゃしない。向こうに必要で こっちに取られちゃいけないものは誰も渡しはしません。そのときはしょうがないもん。了解を得られないんだから。了解を得てる間には こっちが殺ろされちまうもん。だから 了解はゆっくり後でもって 息が絶えてから考えたらよかろうというんでもらってくるというようなことを何べんもやってる。
 それだから 私は今 皆さんの前にこうやって座って えらそうな顔してこんなことを言いながらも 昔のことを考えると 尻こそばゆいような気はしませんけれども 少し面映いげな気持ちを感じるよ。けれど これもありがたいことだ。昔の私は泥まみれの玉だったの。それを光も出なかったろうけれども 一生懸命にごみをつけまいと思って こうやって磨いておりますばっかりに どうにかこうにかあなた方の前に座っていられる。あなた方のほうは磨けば大変なもんだ。そりゃもうね 繚乱たる光沢のダイヤモンドになるんだから。

ー続くー



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