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平成の虚無僧一路の日記

やはり知らされていた広島原爆 

2018年07月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨年の10月、中日新聞で こんな記事が連載されていた。
「藤原章生 広島の謎」 その中で
?福井県に本社を置く 非鉄合金の先端企業「大阪合金工業所」の
会長「水田泰次」氏(88) が、1988年10月発行の『広島高等学校
排球部史』に次の一文を寄稿している。
?
「4月に 京都大学工学部に入学したが、 5月に冶金の教室主任
教授の西村秀雄先生に呼び出されて、広島市内に住居があり、
親がいるということで、内密に情報を教えてもらった。米国の学会
から秘密裡にニュースが送られて来、当時原爆製作を競争していた
日本より先に、米国が成功し、その第1回現地テストを広島で行う
ことに決まったから、できるだけ早く、親を疎開させなさいということ
です。早速帰郷し、理由は誰にも話せず、父を無理やり、廿日市まで
大八車で家財を積んで疎開させたものです」
?
ジャジャジャ〜ン。
さて、この後も執筆者の「藤原章生」氏は、いろいろ疑問を呈している。
西村教授は、アメリカの学会からどうやって、そのような情報を得たのか。
無線も手紙もすべてチェックされている中、情報を得る手段は無かったはず。
不思議とのこと。その時、湯川秀樹も傍にいて、黙って座っていた。
何か意味ありげ。
?
?原爆が完成し、西部ニューメキシコ州の砂漠で世界初の実験に成功したのは
45年の7月16日。日本のいくつかの都市を攻撃目標と定めたのは、7月25日。
最初の投下を広島と決定したのは8月2日。
?
それが、なぜ、5月の時点で「広島に投下される」という情報がはいったのか
これまた不思議。まるで未来を見通せるタイムマシーンでもあったかの話なのです。?
?

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