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平成の虚無僧一路の日記

原爆投下は知らされていた 

2018年07月28日 外部ブログ記事
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3年前の8月6日、NHKで「原爆投下 活かされなかった極秘情報」という番組が流された。広島も長崎も、諜報では、飛来の情報を掴んでいたにもかかわらず、空襲警報が発令されなかったことを 初めてNHKが報道した。「これまで“想定外の奇襲攻撃”とされてきた広島、長崎への原爆投下。しかし実際は、アメリカの電波を傍受することで、軍は原爆投下をめぐる動きを事前に察知していたことが明らかになった。」原爆投下の2ヶ月前から、諜報機関はテニアン島における特殊任務機の動きをキャッチしていた。しかし軍は、危険が迫っていることを知りながら 何の手も打たなかったのだ。テニアン島からのコールサインをキャッチしていた当時の諜報部員・太田新生さんの証言。「悔しいったらありゃしない。分かっていたんだから。何か努力の跡があればあきらめがつくが、全然(情報を)使った形跡がない。だからよけい悔しい」大村基地の戦闘機部隊で出撃命令を待っていた本田稔さん。「66年経ってはじめて知った。出撃命令さえ出してくれていたら、長崎は決して爆撃されなかった。それだけは確信している。5時間もあれば十分対応できたはず。これが日本の姿ですかね。これからもまた起こるんじゃあないですか。」さらに、特殊諜報部員だった長谷川良治さんによると、「8月11日、諜報記録をはじめとするすべての証拠隠滅の命令が下され、終戦の15日まで徹底した焼却処分が行われた」と。NHKの番組では「原爆についての情報がありながら、なぜ知らされなかったのか。原爆投下後 66年、はじめて明かされる真実。」と銘打っていながら、「なぜ知らされなかったか」の答えは報道されなかった。しかし、その答えは すでに「鬼塚英昭氏」によって出版されていた。「原爆の秘密」の国内編と国外編の2冊の本だ。「ソヴィエトが参戦しようが、しまいが、原爆は確実に広島と長崎に落とされることになっていた。すべては、原爆で金儲けようとする悪しき集団がなせる行為であった。そのためにスティムソン陸軍長官が指揮をとり、大統領、国務長官、科学者、軍人たちを動かした。それだけでは原爆は 製造しても 投下できない。それゆえに、どうしても“落とされる側の協力”が必要であった。」(「国外編」P.297)そのためには、広島市民にとっては申し訳ない限りなのだが、無警告でなされねばならなかったのだ。(「国内編」p.98)広島には原爆投下が近づくにつれ、数万人の軍人が送り込まれた。そのため広島市民への食糧供給が底をつく状況になった。その軍人達は何の意味もない穴掘り作業に従事させられ、その多くは原爆によって命を奪われていった。犠牲者が多いほど衝撃度の高い「スペクタル」の実現のために。それを演出したのは、本土侵攻に備えて創設されたという「西部方面・第2総軍の最高司令官「畑俊六」。NHKが鬼塚氏の本を知らなかったはずはない。NHKはこの事には触れなかった。「広島・長崎の原爆投下は、人類初の仕組まれた人体実験だった」ということは、すでに何人かの人によって暴かれている。それをNHKも知っていながら、そのことを伏せたことに、私も関心を持つ。それは、このたびの福島原発事故の報道にもつながっているからだ。今「原発事故は無かったことにしよう」という動きが流れていると感じるのは私だけだろうか。

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