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平成の虚無僧一路の日記

天皇は原爆投下を知っていた? 

2018年07月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



暑い夏、いや熱い夏。8/6広島が近づいてきました。                                      毎年掲載しているものを再掲載させていただきます。
「天皇とごく一部の軍上層部は、原爆投下を知っていた」という本が出版されている。                  あくまで徹底抗戦を唱える軍部を屈服させ、戦争終結にもっていく切り札として、広島と長崎への原爆投下は、必要だった。それは「天皇も了承されていた」と。畑俊六は、天皇に最も信頼されていた将軍だった。20年の4月になって、西日本を統括する第二総軍司令官に任命されたのも、広島に原爆が落とされることを知っての上でのことだったという。広島には、軍の参謀本部も知らない、極秘の電波傍受機関が置かれていた。そこでは、テニアンから飛び立つ航空機の無線、航空機の中でのパイロットの会話まで、あらゆる情報が手にはいった。たとえば、インドのニューディリー放送では、原爆に関連して、まず、昭和20年6月1日、スチムソン委員会が全会一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと。次に7月15日、世界で初めての原子爆弾爆発の実験が成功。さらに8月3日、原子爆弾第1号として、8月6日広島に投下することが決定し、投下後どうなるかを 3日、4日、5日と、毎日朝昼晩の3回、延べ9回も放送をしていた。その内容は、広島で傍受されていた。長崎原爆投下も 2日前から同様に 毎日3回ずつ原爆投下とその影響などを予告してきていた。では、原爆投下の時間まで知っていながら、なぜ市民には知らせなかったのか。さらに、わざわざ8月6日に向けて、多くの軍人、学徒生を広島に集めている。その日の朝8時には、西日本一帯の第二総軍の幹部を広島に召集しているのである。それはすべて、戦争終結のためだった。原爆が最大の効果を発揮する必要があったからだ。原爆投下が予告され、一部の人は知っていたという証言がかなりある。広島近郊で撃墜され、捕虜として広島に連行された米兵も、捕虜になったことより、「8月6日に広島は壊滅する。ここにいては確実に死ぬ」と脅えていたという。広島と長崎への原爆投下は、戦争終結のためのアメリカと日本国天皇との合意の上でのシナリオだったのだ。

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