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平成の虚無僧一路の日記

「親鸞会」と浄土真宗 

2018年07月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「親鸞会」の活動についても、これまた「被害者」団体もあって、問題視されるが、彼らが主張するのは、「既存の仏教が、仏法を説かず、葬式だけで 銭儲けしている」という批判だ。親鸞や蓮如の教えを正しく広めようと彼らは日夜学習し、あちこちで流布教宣活動を行っている。「親鸞会」の主張浄土真宗の既存の寺は「ただ“ナムアミダブツ”と唱えれば、誰でも救われる、何もしなくとも、犯罪を犯しても、成仏できる」と説いてきたが、それは間違いである。今生において「他力信心」を獲ることが重要であり、念仏は救われた御恩に報いるお礼として称えるものであると説く。 彼ら若者は「この世に生を受けたからには、いかに生きるか。真剣に生きるとは何か、どう努力するか」という学びに 真摯に惹かれている。それはそれで感心する。だから、「一休さん」の「平気、平気、気にしない、なんとかなるさ」なんていう軽いノリには、ムキになって反論してくる。一休の悟りは、やはり60歳過ぎてわかるものだ。私もこの歳になってわかる。若い人には「あきらめ」に似た悟りはまだ通じない。

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