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<心に成功の炎を>90 

2018年07月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 <訓言十> よき運命と意義ある人生をおくるための教え。

 心の中に常に正しい向上の希望をもたない人間は 流れない水にひとしく その人生に何の変化もなきゃ また運命のごときも何のことはない。ふたをした壺の中に容れておかれるのと同じで さらに少しの意義をも発揮しない。
 どうだい? 青年の中にも ただもう生きていられるから生きている まあどうにかなるだろうというような気持ちでもって生きている人がいないか。
 私は よく学生に<おまえ 将来何になるの>と聞くと<まだ決めてません>と答える人がいるでしょう。あつかましいよ。決めてないで生きてる。よくまああつかましく 決めてないで生きていられると思うんだけれども そういう人が多いんだよ。
 要するに 青年の間は 心の中に常に正しい向上の希望を持って歩かなきゃだめだよ。偉大な発明 偉大な発見 あらゆるすべてのこの地球上における人類の進化 向上は 夢をもった人間がこれを現実にし そしてその結果 人間の世界に良い方向を与えてるじゃないか。何にも考えないで ポーッと生きてるくらいなら 死んじゃったほうがいい。わかったか。

 <訓言十一> すぐれた人たらんと欲するものが知っておかなきゃならない教え。

 自分を知るものは賢者である。しかし 真に自分を信じうるものは立派に哲人である。真にすぐれし人たらんには ただ理性のみを崇拝していたのではだめである。理性はけっして下等な本能にはかなわない。本能に勝つものは ただ霊性のみである。
 人を救うということは およそ人間の世界において尊いことだ。尊いことだが その尊いことをするとき ただその当面の困難のみを解決することに努力したんじゃいけない。正しくその人を精神的に向上せしめることが はじめて人を救うことになるのだ。
 人を鼓舞奨励することは非常に尊い。しかし 人から鼓舞されたいとか 奨励されたいとかというふうに望んだならば これはもう恥じであると同時に 人間としてさもしい心がけだと思え。

 <訓言十二> 自覚が進み 悟りが開けると 人は人生の苦悩というものを感じなくなる。

 これはどういうわけだというと 人間というものは いかに自覚が進み 悟りが開けても 人生の苦悩と称するものとは縁を切ることができない。
 しかし 縁を切ることはできないが 凡人凡愚と 自覚の進んでいるいわゆる真人との相違する点は 凡人が苦しみ 悩みに血みどろになって のたうち回るとき 自覚のできた人間は その苦悩をもっとよりよく魂の糧として どんどんいいことに振りかえていく。だから やたらに失望したり落胆したりはしない。
 だから今度 落胆するようなことあったら <よおし今度こそこの失望 落胆をおれの糧として この上を乗り切っていくぞ>と この勇気をださなきゃ・・・いつも言うだろう 勇気は常に勝利をもたらし 恐怖は常に敗北を生むと。
 こういう意味を私が考えたのは 自分がある事柄に対して失望していやしないか 落胆していやしないかということをいつも考え方の標準にして チョイとでも自分が失望してる 落胆していると感じると すぐいま申し上げた言葉を自分の魂へボカンとぶちこんでやって 価値のない失望や落胆の中にあがき もがいてる自分を救いあげることに努力してきたのであります。

―続くー



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