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吾喰楽家の食卓

DNA 

2018年07月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:生活

お施餓鬼の日の朝、所沢に住む長兄からメールが届いた。
「蔵書の整理をしていたら、興津要編『古典落語』(上・下・続)が出て来た。読むのなら寺へ持って行く」と、あった。
私が持っている『古典落語』には、上も下もない。
続もあるが、何か違うと思い、「お願いします」と、返信した。
結果は大正解で、私が持っていたのは、上と下の六十二話を二十一話に圧縮した、復刻版だった。
続は十九話しかないが、貰ったのには三十五話もあった。

阿佐ヶ谷に住む次兄を誘って、黒門亭と風流寄席へ行ったことがある。
次兄は出不精なので、寄席へ行くことなど滅多にないが、結構、落語に詳しい。
仕事を通じて、圓歌師匠とお付き合いがあったことも、多少は影響しているのかも知れない。
ところが、長兄も落語を好きだとは知らなかった。
金原亭伯楽師と面識があると、聞いたことはあるが。
私は、両親が落語を好きでも嫌いでもなかったと記憶しているが、わが家系には、落語好きのDNAが流れているのかも知れない。

帰宅した翌日、長兄へ、生家で撮った兄弟三人と義姉の写真に、菓子を添えて送った。
メールで届いた礼状の追伸に、「阿佐ヶ谷で飲むと、長くなってしまうので、アルコールの量が増える。水で調製してくれたのが正解。感謝、感謝」と、あった。
三兄弟の酒の強さは、次兄、私、長兄の順だが、これは背が低い順である。
私は焼酎の水割り作りを引き受け、バスと電車で帰る長兄が、飲みすぎないようにした。
とはいえ、五時間も飲み続けたのだから、長兄も、それなりに呑兵衛といえる。
両親は酒が飲めたから、兄弟三人が呑兵衛なのは、間違いなくDNAの成せる技だろう。

ところで、写真と菓子を送ったのは、十四日のことである。
本来なら、十五日に「届いたよ」と、メールが来るはずだ。
それが、十六日になったのには訳がある。
届いて直ぐにメールを送信した相手は、阿佐ヶ谷の次兄だった。
翌日になって、その間違いに気が付き、慌てて私へメールを寄越したという。
もっとも、そそっかしいDNAなら、しっかり、私も引き継いでいる。

   *****

写真
7月16日(月)の昼餉と夕餉



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