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平成の虚無僧一路の日記

大杉と野枝の娘「魔子」 

2018年07月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



子供の名に「悪魔」と付けようとしたが、役所が受取りを拒否した事件があった。私は「悪魔」だっていいじゃんと思った。ヤンキーな父親は覚せい剤で逮捕され、子供は擁護施設で育ったとのこと。もう20歳に成人している。どんな子に育ったものか。芸名なら「緑魔子」がいる。歴史上では、源義朝の長男の義平は「悪源太」、頼朝は「鬼武者」、阿野全成は「悪禅師」だ。大杉栄と伊藤野枝との間に生まれた長女の名は「魔子」、次女エマ、三女エマ、四女ルイズ、長男・ネストル。瀬戸内寂聴は、この「魔子」に会って取材している。昭和39年、「魔子」47歳。博多人形師と結婚して「青木魔子」となっていた。大杉栄は魔子を“目に入れても痛くないほど”可愛がっていた。子供の頃の大杉に抱かれている写真が何点か残されている。当時では珍しい、ハイカラな洋装で、大きな瞳をイキイキと輝かせ、物怖じしない活発な性格だった。大正6年生まれだから、父大杉栄と母野枝が殺されたときは6歳だった。大杉栄38才、伊藤野枝28才、甥の橘宗一6才。「母の野枝はいつも『どうせ私たちは、ロクな死に方をしない』と口癖のように言っていた」という。どこへ行くにも警察の尾行が付いていたが、野枝はつきまとう警官にも気さくに声をかけ、摩子の子守までさせたという。その子「摩子」は、寂聴の取材を受けた4年後の昭和43年9月28日 交通事故死。51歳。「明るく聡明な婦人だったが、笑顔の奥に翳りがあった」と寂聴は書いている。

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