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伝教大師(最澄)&弘法大師(空海)の対立(2) 

2018年07月03日 外部ブログ記事
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秀才(最澄)とスパースター(空海)

既存仏教界との論争に奔走して最澄
 ☆帰国した最澄は、朝廷の公認を得て天台宗を開く
 ☆最澄は、権力機構と癒着し、俗化した南都六宗の改革に使命を感じていた
 ☆最澄の帰国後の活動は、初志の実現の為、南都六宗との論争に明け暮れる
 (大乗戒壇の設置=既存の受戒制度を超えた独自の考え方による僧認定制度)
 ☆その戦いが報われて大乗戒壇の設置が許されたのは、最澄の死後です
 ☆最澄が開いた比叡山延暦寺では、12年間修行することが義務づけられた
 ☆比叡山は天台宗の拠点、日本の仏教アカデミーとして発展
 ☆最澄が総合的な天台仏教を築いた
 (後の延暦寺門下生が次々と新仏教の開祖になれた)
 ☆鑑真により輸入した仏教の制度を日本流に改革した最澄は、伝教大師の名を贈られた
伝説の巨人となった空海
 ☆予定を早めて帰国した空海の活動は派手なパフオーマンスでした
 ☆密教を完全に修めた空海は、鎮護国家のための祈祷を行います
 ☆京都高雄の高雄山寺で日本最初の密教の灌頂を行う
 (最澄とその門下生も弟子となる)
 ☆密教の修行の場として高野山(和歌山県)を下賜される
 (高野山に根本道場、金剛峯寺を創設し真言宗を開く)
 ☆京都では東寺を下賜され、立体曼茶羅を置き、密教世界を現出させた
空海の密教振興以外の活動
 ☆「三筆」に挙げられる程の書道の達人で、庶民のための教育機関「綜芸種智院」を設立
 ☆故郷、讃岐の治水のために満濃池を築くなど、ゼネコンのような事業も行う
 ☆空海は高野山で没しますが、空海はまだ生きているとされ、今でも日々、食事が供されている
 ☆空海は、天皇家から民衆の目線までも降り活動した(空海は大師様=弘法大師伝説を残した)
 ☆四国八十八カ所の霊場をお遍路さんを一緒に回ってくれる、庶民に愛されるスターとなった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』


秀才(最澄)とスパースター(空海)(『手にとるように宗教がわかる本』記事より画像引用)

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