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奈良の大仏は釈迦ではない! 

2018年06月27日 外部ブログ記事
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日本に伝来したのは中国を経て変形した国家鎮護仏教

聖徳太子から聖武天皇へ受け継がれる仏教導入
 ☆大化の改新の頃、中国では仏教文化が花開いていました
 ☆非漢民族が建てた唐は、仏教を保護し、東西文化交流を行っていた
 ☆玄突(三蔵法師)が中国独自の諸宗派が興されるもと
 (仏典をインドから持ち帰り、漢訳を行う)
 ☆聖武天皇は光明皇后とともに仏教に篤く帰依し、仏の力で国を護ろうとした
 (日本は天災が続き、疫病が流行で民衆は苦しんでいた)
 ☆聖武天皇は、国分寺・国分尼寺を建立(総本山として東大寺建立)
 (そして大仏をと願います)
 ☆世界最大の木造建造物は、開眼法要で民衆の前に金箔に輝く巨大な姿を現す
 ☆最大の建築物と最大の仏像鋳造は、支配下の民衆を動員して行われた国家プロジエクト
 ☆建築費を含め、民衆を動員するのに大きな役割を演じたのが行基
日本が導入した仏教は、国家が僧侶・寺院を丸抱えする中国式のシステ
 ☆僧は税制面や兵役免除など優遇されていた
 (独学で仏典を学び、僧を勝手になのる私度僧が続出)
 ☆仏教の本義からいえば、僧侶が国家公務員になることはありえない
 ☆中国から直輸入したシステムからいうと私度僧は国の方針に反している
菩薩と呼ばれた行基はモグリの憎
 ☆大仏建立には、私度僧の集団をしたがえた行基が活躍した
 ☆行基は中国にわたり、玄奘師事した道昭に学び唯心論を修めた
 ☆行基は寺に籠ることなく町に出て社会貢献活動を開始した
 ☆国土開発には、中国らか仏教とともに伽藍建築を背景にした先進技術が導入されていた
 ☆大仏建立には、技術面でも仏教の恩恵を受けた官民一体プロジェクトとして成功した
 ☆民衆は、先頭に立つ行基に、衆生のなかに降りて救済を行う菩薩の姿を見たようです
 ☆「行基菩薩」として圧倒的な人気をもつ
 (行基とその弟子たちに従う民衆は1,000人を超えた)
政府は当初行基を弾圧
 ☆行基&弟子たちは、私度僧の身分で民衆を扇動する
 ☆影響力の強さを見て、行基他を大仏建立の勧請役(献金の総元締)に起用
 ☆僧の最高職、大僧正にも任じます
 ☆行基を慕う民衆は行基伝説を各地に残す
 ☆行基が発見したと言われる温泉は、草津温泉、野沢温泉、湯河原温泉、山中温泉など
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『手にとるように宗教がわかる本』






菩薩と呼ばれた行基はモグリの憎(ネットより画像引用)

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