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平成の虚無僧一路の日記

戦前までは「田舎節」が主流? 

2011年05月16日 外部ブログ記事
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「宴の桜」さんからのコメントに「江戸時代初期の音楽は、
洋楽の理論も知らないし、音痴で平気で歌っていたのでは」と
あった。それをヒントにいろいろ考えてみた。

たしかに、人間国宝の「富山清琴」師の歌は、私には「音痴」に
聞こえる。邦楽通は「あれが “味”があっていいのだ」とか、
「あれがホントの地唄だ」と言う。

明暗真法流の「富森虚山」師の尺八も、メリ音が下がらず
「中メリ」に近かった。技術的に「下手(へた)なのか」と思って
いたが、どうやら、江戸時代以前の明暗本曲は「田舎節」で
吹かれていたのではないかと思えてきた。
5孔の尺八で「ミ−ファ」「シ−ド」の半音は出しにくい。
だから、尺八音名では「ロ ツ? レ チ ハ?」(レミソラシ)
となる。

また、戦前の詩吟の大家の録音を聞いても「ミファラシド」の
陰音階になっていない。尺八でいう「中メリ」なのだ。
古典の琵琶もそうだ。

『五木の子守唄』や『刈干切り唄』も、地元の古老が歌う原曲は
「田舎節」。

どうやら、平均律の「ミファラシド」にキッチリ合わせるように
なったのは、戦後の洋楽教育のせいではないかと考える。

ということは、箏も江戸時代初期の『六段』は「田舎節」だった
のではないか。それが「筑紫流」の『六段』として残っている。

「ミファラシド」の陰音階に慣れた耳には、調子っぱずれの音痴に
聞こえる。

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