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<心に成功の炎を>64 

2018年06月20日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 まあとにかく うまいなあと思って食べたんだ。もっとも 久しぶりで米の飯を食ったうれしさもありましたけれども 一緒に食ってるインドのやつが
 <おまえの国にこういううまいものがあるかい?>と聞くから
 <おれの国にもやっぱりカレーライスはあるけれど インドのと同じじゃないよ>
 <ああ そうか やっぱりこんなにうまいか?>というから
 <味は少し違うけれどもね。ただね とくに違うなあと思うのは 米の舌当たりが違うな>
 <どう違うんだ>
 <おれの国の米は もっと丸いよ。それでもってもっとコシがあるんだ。第一 甘さが違う>
 <甘さが?へぇー どんな甘さ?>
 <どんな甘さって 甘さが違うんだよ>
 <バナナの甘さか? マンゴーの甘さか? パイナップルの甘さか? あるいはパパイヤの甘さか?> <どんな甘さって 困るなあ。説明する言葉をおれは持ち合わさないよ> 
 <わかるように説明してくれ>というから もう面倒くさくなって
 <食ってみろ!>といってやった。しょうがないもん。
 それと同じでね この気持ちは説明できませんよ。

 とにもかくにも 認識力というものは そこまでおそるべき というよりむしろ尊敬に値するほどスーパーな働きをもっているんですよ。誰にでも存在しているんだ。
 私とあなた方と同じ人間なんだもん。私でもできるんだもの。あなた方にもできるはずじゃないか。それは結局要するに 五官感覚を正当に訓練したために 第六感以上の精神作用が出るようになったんだねえ。
 この世の中にね 人間のすることなすことに不思議ということがあろうはずないんですよ。ところが とかく自分ができないで人ができると まして できる人が少なくて できない人間が多いと それを何か奇跡のようにいうんです。
 それはもう世の中の有象無象はそれでいいけれども かりそめにも 真理によって自己の人生を価値高く生かそうとする心がけをもって 日々の人生を気高く生きようとする人は 自分を価値批判するときに そんな程度の低い考え方をしちゃだめですぜ。
 だから 別に何も難しいことはいわないんだから もういっぺんよおく考えてごらん。そうすると <ああ これ してないわ これもはじめて聞いたわ>なんていうような 自分のうかつさにきっと気づくことがあるに違いないから。そうすると さらに心を新たにして 自分というものを研ぎあげるうえに正当な手段を実行することになるでしょう。
 そして すぐれた人間になって 何べん言っても言って言い飽きないことだけれども 自己統御というものを完全にしなきゃだめだ。自己統御を完全にするのには 感覚や感情にふりまわされないで いつも感情 感覚を乗り越えた すぐれた人間として正々堂々と 雄大に荘厳に自己の人生を大手をふって生きなきゃだめだ。肩をいからして から威張りしたって 何にもならないんですよ。
 ということを最後の尊い結びの言葉として 今日の講演は終わりますが 終わるに際して ヨーガの哲学の一章をお耳に入れておこう。これさえ覚えりゃいいんです。
 

 およそ 人にしての完全領域に到達せんには まずその官能を常に営々として啓発して これを無欠完全につくりあげることが これその第一歩なり。まことや 官能にして無欠完全たらんか やがて自由にそして正確に自己を統御しうる 雄大荘厳な人生の殿堂を築きあげる崇高なる技術者たることを得ん。去れば官能の啓発こそは 珠玉を磨きて光あらしむるに等しく 夢寐瞬忽の間といえども これが万全を期成し 怠るべくもあらず ただひたむきに励まんかな。

 いい言葉です。これさえ頭の中にあったならば どんな場合があろうとも 自分の命についてる感覚作用をおろそかに使うことはないであろうということを 私は信じます。
 またの日にお目にかかるときは もっともっとすぐれた姿で 体ばかりじゃありませんよ 心もお見せくださることを心のそこからお願いして ご成長を感謝します。

「研心」の篇  第六章 勘をよくする 、、、、終、、、、 


 <強靭>の篇 <303頁>
 
 第七章 虚心平気 <305頁>

―続くー



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