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<心に成功の炎を>41 

2018年05月24日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 どうだい あなたが方。天風というのは それほど酸いも甘いもかみ分けてんだ。私は 真理以外のものは口にしないんだから ねえ 感情なんてものは そういう場合には私の気持の中に一歩も入れません。現在も永久にも 私が中に入って施した処置は立派なもんだと言われる以外のことはしないんですから。
 けれども あなた方の本能心の中には 現在の自分の人間生活に要らないものが入っている。それが不要残留本能心なんです。それが心のどこかに しかもうんと入ってるわけだ。
 そこで あなた方 この不要残留本能心を発動せしめるかぎり絶対に幸福は来ないということがわからない? 幸福がこないということは 常識で考えたってわかるじゃないですか。どうです? 人の悪口言ったり 憎んだり ねたんだり そねんだり やきもちをやいたときに いい気持ち? <おれはねえ 腹を立てたときぐらい いい気持ちはない>という人があったら 手を挙げてください。
 人間は 朗らかに 楽しい うれしい気持ちを感じたときが一番さわやかなんじゃないかい。わたしはそうだけども 違うかな。それだから 私はもう腹を立てない 憎まない ねたまない そねまない。人の喜びを自分の喜びとし 人がうれしがりゃ 自分もうれしがるということをやってます。私は自分の心が大切だから また そうしたほうがうれしい。
 憎んだり そねんだり ねたんだり <あんちきしょう>なんて思ったときに ちっとも気持ちよくないから よくない気持ちを自分の心に背負わせるということは 結局において 自分の生命の全体を哀れなものにするんだということを知ってるから。
 そりゃあ 私だって人間です。あなた方と比べてみりゃあ。あなた方より以下かもしれない。裸にすりゃあ へそはやっぱり一つですよ。修行して インドへ行って難行苦行したから へそが三つになったってわけじゃないんだから。
 だから 私だって そりゃ腹が立つこともあれば 悲しく感じることもある。恐れることは 生涯ないとはいわないけども あるかもしれないけど 今まであんまりありませんでしたけど とにかく怒ったり 悲しむことは人並みですよ。そんなに人を憎むってことは 生まれてからあんまりしたことがないから 憎まないけども。それから うらやましくもあんまりないけれど まあとにかく とくに怒ることは 私は自分でも 恥ずかしいくらい のべつ怒ってたという人生だったんです。今でも時々 そういう気持が出ますよ。こう言うと
 <へえー じゃあ天風 あんまり偉くないね>
 <あんまりえらくないんだ>
 <それじゃあ おれたちと同じじゃないか>
 <そう。同じ人間だもん>
 ただ 違うところが一つある。どこだというと 同じ怒る 同じ悲しむんでも <あ 今 天風先生 怒ったな 今 天風先生 悲しんだな>と あなた方に見えないうちに消しちまう。パパッ パパッと。
 あなた方は 怒りだしたり 悲しみだしたりすると そらもう派手ですぜ。すぐ第三者に
 <あ 怒ってる 悲しんでる>とわかるようにやりだすね。
 そうして わからせたうえに これがまた実に ほかのことじゃ辛抱強くもないのに そういうときの感情だけ実に念を入れて長く続かせるね。それを執着というんですがね。
 せいりされない 自己陶冶の完全にできてない人間の本能心の中のこれは劣悪な感情情念なんです。
 あなた方は 何か怒ることがあったり 悲しむことがあると そいつにすぐ心のほうを引きずりこませちゃってるわね。それをあなた方の心の中にいれてるんじゃなくして 入れてるんなら追い出すこともできるけど あなた方のほうの心が飛び込んじまう。
 サルの手にトリモチをやったような状態に あなた方の心はすぐなっちまう。サルにトリモチをやってごらん セミやトンボを取るあのモチね。ヒョイと 小さな塊やるだけでいい。サルめ さっと手に取ります。食い物だと思って すぐヒョイと鼻へもっていく。モチだから 食えないということを知ってる。パッと捨てようとすると 離れませんわ。そうすると 今度はこいつをこっちにもってきて離そうとする。両手に分離するでしょう 二つに ネチャネチャするもんだから 気持ち悪いもんだから 体にみんなつけちゃう。体じゅうモチだらけ。
 それと同じようなのがあなた方の心なんです。何かささいなことをチョイと心に感じると 本能心の中の劣悪なそうした感情情念がパーッと一瞬に出てくる。そうしたらもう 今までニコニコ笑っていた人間が急にむくれちゃったりね。今まではばかに晴れやかにしていた人が急にめそめそしだりするんです。変わりやすきは男心と秋の空というが どういたしまして。変わりやすきは人身なんであります。
 だいたいこの本能心という心は 我々を苦しめようとか 我々をさいなもうとか言う目的で我々の生命の中に与えられた心じゃないんだ。これはつまり 肉体生命を守るための必要な働きをおこなうために与えられたものなんだ。
 だから けっして悪い心じゃないんだ。時代によって ある場合にはこういう本能心でなきゃ肉体を守れない。しかし 今の時代は昔のあの本能心はいらなくて 今度は新しい本能心がいる。こういうふうに 本能心はその時代時代で 必要だったり 不必要だったりするんですよ。
 だから 早い話が クリストの生まれた時分には愛情の乏しい人間が多かったから クリストは愛を説いた。マホメットの生まれた時代には調和する気持ちの穏やかさをもってる人間が少ないから 調和の気持ちでいろと。確かにそう言ったにちがいない。釈迦の生まれた時代には 慈悲の心の少ない人間が多いから もっと 慈悲心を出せといったんだろうけれど あの時代というのは2千年も前だ。
 それから時代は日進月歩 今さら愛を説かなくたって 愛の重要性は誰でも知ってるはずだ。今さら慈悲を説かなくても 文化民族ともあろうもの 慈悲もまた価値あるものだと知ってるはず。今さら 調和の 不調和というものを心がけないかぎりは 民族精神の分裂がきちまう。すると結局は 社会とか個とかいう一つの組織に割れがくるというぐらいのことは知ってるはずなんだ。
 しかし 時分じゃあ これとこれが必要かな あれとあれが必要かなと 分別することはできませんよ。品物を並べていくようなわけにいかないもん。品物並べりゃあ これはいらねえ こっちはいるから取っておこうということができるかもしれないけれどね。
 だから どうしてもある方法をおこなわなきゃだめなんです。方法をおこなうことなしに ただ漫然として生きてるかぎりにおいては 残しておいちゃいけない本能心が しつこく心の中に残ってしまうんですよ。残したかなかろうけどもね。
 そうすると そいつがさっき言ったとおり 何かのときがあると ヒョイヒョイと実在して いわゆる心の表面に飛び出してきやがって 心配しなくていい人間を心配させたり 怒らなくていい人間をよけい怒らせたり 悲しませなくていい人間をよけい悲しませたりするんだ。
 だから 現在 あなた方が何か怒ることがあり 悲しむことがあり 恐ろしいことがあり 憎むことがあり ねたむことがあり 迷うことがあったら よおく考えなさい。
 それはあなた方の本心がそういう苦しみを感じてるんじゃないんだぜ。あなた方の本心 良心というものは 磨きたての真珠のような ちり一点の曇りない 清いものなんだ。何かあなた方の心に 何かなしの心を暗くするものがあったら それは要するに不要残留本能心が ヒョイと出てきて 考えちゃいけないことを あなた方の心に考えさせているための結果なんだよ。
 それをあなた方はそういうふうに考えないで <そう言ったって これをしんぱいせずにおられるか>とか<これを怒らずにいられるか>と言うからいけない。それはあなた方の本当の心がそう言ってるんじゃないもん。それを本当の心が言ってるように思ってるというところに あなた方の人生への もっと本当いうと 恵まれた 感謝に値する毎日を送られるはずの人生というものを きたなくよごす原因をなしているんですよ。
 だから 厳密なことを言うと 人間の本能心の中は 自分の肉体を生かすのに役に立つ働きをしてくれるものと 自分の肉体を また自分の心をより悪くするような 役に立たないやつがまざっているような状態で さながら日々がある。
 それが整理されると いらないもの入らなくなっちまうから いるものだけしか残らない。そうすると 本当の人間としての幸福が得られるわけで それを金をこしらえるとか 名誉を高めるとか 地位でもできればというふうに思うから とんでもないことなんです。
 人間の心の中に低級な動物的欲望や劣悪な動物的感情情念があるかぎりは 我々の心の中に平和と平静はこないんであります。

          *

 私のお医者の先生はね 世界的に有名な青山胤通という先生だった。この人はじつに 患者を診ることは日本一えらかったなあ。ただ 自分自身を診るのが少し下手だったけれども。そのかわり 金がちっともできない医者だった。だって 金ができないような診断をするんです。

―続くー



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