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<心に成功の炎を>37 

2018年05月19日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 余談にわたるようですけれども 私は今 警察官の指導を もちろんこれは40年来やってますが 東京の警察大学と警視庁 および最近は 京都の警察本部長が会員の怱那君になった関係上 もう1年ばかり 京都の警察官を指導してます。そして私は警察官に
 <おまえたちね 現代の 特に終戦後の警察官は 終戦前の警察官と違って 何かこう 警察官であることを サラリーマンと同じような気持でやってるやつが多かねえか。そういうやつが何百万人 日本にできたって そんなやつは いざ鎌倉の時に 人民の生命財産を保護する勇敢な闘志 すなわち 自分の命に代えても 何十人 何百人を守り通していこうというような気分はでやしない。だから もしもこの集まりの中に命の惜しいやつがあったら たった今やめろ。総理大臣も 直属長官も この言葉は言わないぞ。天にかわっておれは言うんだ。 命が惜しい警察官なんか 何百万人いたって何にもならない。たった今やめちまえ>これがいつでも警察官に言う決まり文句です。同時に
 <命が惜しいやつは 人間として当たり前だと思うかもしれないけれども 違うぞ。おまえたちの職責を考えてみろ。普通の人間のなしあたわざる尊い仕事を 軍隊なき今日 やってじゃねえか。
 しかもなおかつ 命が惜しいというのは 仕事に対するおまえたちの根本観念が違うからだ。おまえたちは せいぜい なあ 男一代 どうせ遊んじゃ食えねえから 働くんなら男らしい警察官がいいというんで警察官になったぐらいが関の山だろう。もっとひでえやつになると 田舎にいて ごろんごろんしていても 見栄にもならねえ。おれは長男じゃないから 家督相続もできず そうかといって 学問がないから 学校の先生もできず といって 電車の車掌になっても あんまり利はねえ。そうだ 試験が受けやすく 受かりゃ 着物は向こうがくれるし おまけに 内輪じゃとにかく 表へ出てあんまりぺこぺこ 頭下げなくたっていい。まあまあ体裁よく威張っていかれるから巡査になってやろうと思って それで巡査になったやつが多かねえか>
 みんなお互いに顔を見合わせてやがる。
 <はじめはそれでいいんだ。しかし いったん尊い転職を自分の職責とする巡査になったら 食えないから巡査になったとか 食うために巡査になったというようなけちな考えは捨てろ。いつ何時でも笑って 自分の尊い職責のために この命を犠牲になしうるような決意と信念を持つには たった一つ 心の置きどころを変えることだ。
 どう変える? やさしいぞ。食わんがために警察官をしてるんでなくて おれは人々の命や財産を確保する警察官として毎日を過ごすために生きてるんだと こういう気持になれ。食うための警察官じゃない。警察官たらんがための行き方をおのれの命としろ>と言うんです。
 それと同じことなんですよ。我々の人生は。何も警察官ばかりじゃありゃしない。正しく万物の霊長たる人間の資格を発揮するために こうして生きているんだと ここに我々の信念をおいたならば 人生まるっきり変わってしまうんです。

 ところが あなた方のおおむね多くの場合は 働くのは食うためだ。だから いつまでたっても それより以上にはあなた方の人生は上には行かないよ。
 よく会員の中で 私を慰めるつもりか あるいはまた 私の本当の気持を知らないためか
 <ねえ 先生 東京 名古屋 大阪 神戸と各所に行って 同じ話をこうやってなさるでしょう。これが一巡したら またはじめに戻ってお話される>
 <そうだよ>
 <飽きませんか>
 <飽きるという意味はどういう意味だ>
 <だって 毎日毎日 同じことやってて飽きませんか>
 <飽きないね>
 <へえ それは不思議だなあ>という人がいますよ。
 不思議なことも何もあるもんか。私は これを生活のためにやってんじゃないの。人様がもっともっと幸福になるために 私は生きてるんだと思ってるんだ。
 もっとはっきり私の気持ち言おうか。私は 中年から今日まで 私の気持がすっかり変わってきたことをじいっと考えてみると これは自惚れでもなんでもなくよ<おれはひょいとすると 世の中の人を幸福にするために生まれてきたんじゃないかしら いや そうに違いない>と思うんだ。だって まだこういう悟りの開けなかったときに 箸にも棒にもかからない むしろ不良という点においては 人後に落ちなかった私みたいな人間が 心機一転してこういう尊いことをやる気持になったと同時に やりだしたらば そりゃもう たゆまざる気持が続いてるところを見ると おれはそのために生まれてきたんじゃないか 否 そうに違いないと思うがな。
 <天のまさに 大任をこの人にくださんとするや 必ずまずその心志を苦しめる>といった孟子の言葉のとおり きっとそうだ そうに違いない。もうこれをはじめるときからそう考えて いまだにその心 たゆみなしであります。
 だから もしも私が生活するためにこれをやってるとしたら 前にも言ったように ロックフェラーあたりが天文学的数字の報酬で私を招聘してる。そうしたら 飛びつくような気持で行きますよ。けれど 私の気持はそこにあるんじゃないもん。 世界中の金をくれたからといって 私は喜びやしません。一人の人間が本当にこの方法によって <おかげで幸福になりました>というこの事実のほうがはるかに尊い。だから どんなことがあっったって 私は飽きません。

 今日も 会の幹部が

―続くー



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