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<心に成功の炎を>32 

2018年05月14日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 どんな人でも 木の又や石の割れ目から出た人はいないだろう。桃の中から出たのは桃太郎だけだ。みんな出たところは同じところから出てる。俺だけはおっかさんの尻から出たという人はいない。うんこじゃないんだから。とにかくおっかさんの腹から出たことは疑いない。おっかさんの腹から出たものが いきなりおっかさんの腹へあなた方が飛びこんだのかい?事卑しきに似たりといえども人倫の大本だ。よく聞きなさい。
 男 年ごろになると 性欲というものを感じます。性欲を感じない人間だったら 赤ん坊だ。私なんか ませてるかもしれないけれど 八つごろから感じてた。
 そして 本当の性欲を感じるのは 男が 人間をこしらえる<気>をエネルギー要素の中から自分の体の中に取り入れる資格ができてから これが自然傾向として性欲を感じるんだぜ。助平だから性欲を感じるんじゃないんだよ。助平だから性欲を感じるといったら みんな助平だ。これは犬 猫に至るまで いやさ コオロギ バッタ アミーバまでも みんな感じるんだよ。系統の相伝 種族の繁殖のために造物主が与えた これは生物の自然傾向なんだもん。これなくんば 系統が相伝しませんよ。一代かぎりで終わっちまう。
 しかも ここで考えなきゃならないんだよ。 カリアッパ先生が<気>で生きてるといったのは この宇宙エネルギーを人間の心で性欲という観念で受けとったものが精子となるときに その精子の中に一切すべての形成を完全にするひとつの尊い気体がこめられたということなんであります。あんまり小さいものだから その中にこもってないと思ったんだけれども 気が抜けたら 新しい生命を生み出しやしませんよ。その<気>を あなた方は何であるかということを知らないからだめなんです。
 これが俗にいう<霊魂> もっとやさしい言葉でいうと<魂>ですよ。霊魂だ 魂だというもんだから 何かこう 非常にそれを不思議な奇跡的なものと考えるからだめなんです。いわゆる元素なんです。
 これを英語では<ソウル>といってるね。フランス語じゃ<アーモ> ドイツ語じゃ<ディーゼル>といいます。
 つまり この霊魂という気体が人間の生命の根本中枢なんだ。命のいちばん大根大本がこれなんです。64年前にプランク博士が定数hという あらゆるものの生命を作る要素の根源に対する見えないものを科学的に名づけたものなんです。
 そして 霊魂が 人間をつくる際に よろしいか 原動力となっている人間の脳髄の中の間脳というものに入るんです。間脳から心を通じて肉体へ宇宙エネルギーというものが入る。
 さらに大事なことは ふだん私が言うとおり 心が積極的でなければ この宇宙エネルギーが 生命の中にじゅうぶん豊富に受け入れられないんです。
 だから 神経過敏な人がどんな養生しても 肉体が完全に生きないということが これだわかったろう。
 この事理明白な因果関係が私はわからなかった。明けても暮れても 病ばっかり考えていた。そして心はけっして積極適になりゃしないもん。病ばっかり考えているから しょっちゅう この現象によって心が引きずられてるだけなんだ。この受け入れる<気>が全然ストップされている。つらい 苦しい 情けないという感覚ばかりでなく 感情の方面も 何という恵まれない 虐げられた因果な人間だと思う心のほうばかりが盛んに発動してるでしょう。そうすると こっちから受けとる力なんていうのは まるきりストップししちゃってる。
 そして わずか肉体の持ってる力だけで生きていこうとするから 何をしても丈夫にならなかったのも当然じゃねえか。
 ところが ひとたびこの大きな真理に目覚めてからは ああ そうか おれはまったく考え違いをしてたということが自分自身でも考えられるようになった。病だから 熱がでる 脈が速くなる これはつらい。けど 丈夫なときだって びっくりすりゃ脈も増えるし 寒けりゃ寒い 暑けりゃ暑いでもって感覚する。丈夫なときには そう感覚しても たいして心というものが消極的に感じませんわね。
 けれど 病になると その考え方が 同じ感覚でも非常に自分の心持でもって消極的になっちまうだろう。そうすると パーッと宇宙エネルギーを受け入れる 口がふさがっちまう。
 このくちがふさがっちゃたんじゃ 肉体の持ってる力というものはたかがしれているから すぐにくたびれちまう。万物の霊長たる人間であろうと 肉体の持っている生きる力には制限がある。心が無限大だというのは 宇宙エネルギーに通じてるからなんだ。だから どこまでも積極的にいけというのは これでわかったろ。どこまでもプッシュでいけというのが。
 これがわからなかった。明けても暮れても この体が自分だと思い込んでいる。哀れはかなき頃は ちょいと脈が速くなっても ちょいと熱がでても そりゃもう天地がひっくり返るほど心配したもんだ。
 だから いずれにせよ この厳粛なる事実から考えてみれば 自分というものの正体は 形ある肉体でもなければ 観念で考えられる心でもなく ぜんぜん見えない霊魂だと こう考えるのが一番いい。
 もっとも それは<考えろ>と無理には言いませんけれども <考えなさい そのほうが得だ>と私は言いたいな。
 こうした理論を悟るまでは 死にゃしねえか 助かりゃしねえだろう インドの土になるのか とばかり明け暮れ思ってた。今度はもう死ぬなんてことは考えない。治ろう 生きようとも考えなきゃ 死ぬことも考えない。ただ あなた方がきれいな景色を見ているときと同じような状態の心。つまり 無碍にして自在なる得(う)。人間は虚心平気 何事も考えないときが一番無事なんです。
 とにかく せっかく縁あってこの人生に生まれたならば そりゃもう飽きることはなかろうけれども 厭きるほど生きてるほうが得だぜ。
 そして 病が生じようが 運命が悪くなろうが 本当に安心のできる人生に生きるということが当面の急なんだから。いくら長生きができても 本当の安心のできねえ人生に生きてたんじゃ 三文の値打ちもないだろ。
 もっとも 本当に安心のできる人生に生きるというと 病だ 煩悶だというのはそう出ちゃこないけれども 仮にでたとしてだ 自分の正体が<気>だということがわかってるから 少しもその出来事に煩わされるおそれがなくなるもの。見えもしない 感覚もないものは 何物にもダメージを受けるきずかいはねえじゃねえか。
 だから もしも考えられたら そういう考え方にしてごらん 今日から。肉体はわが命の生きるための道具と。頭が痛かろうが ケツが痛かろうが 脈が速かろうが それは自分がそうなってんじゃない と。自分の命を入れる入れ物に故障ができたんだけど この故障は ありがたいかな 自然に心がそれから離れさえすれば治るようにできてるんだってことを ありがたく感謝しなきゃだめだぜ。これだよ 一番肝心なことを。
 着物が破れたら 人間はそのほころびを繕わなきゃならない。屋根が漏りゃ 屋根屋を呼んできて そこをふさがなきゃならない。
 ところが 人間のほうは ありがたいかな 自分が何にもしなくても そこから心が離れさえすればいいんだよ。なぜというと 離れると消極的な観念がなくなっちまうだろ。消極的観念がなくなると 肉体の持ってる自然作用がその場所をもとの健全な状態にするために働きだすようにできてんだよ。これを普通の人は気がつかねんだ。昔から言ってんじゃねえか。病は忘れることによって治る。
 だから これもよく言ってるでしょうが。本当にもう人生に安心立命して生きられている人間というのは 真理を知ってるすぐれた人か さもなきゃ 何にもわからねえおおばかが一番。何にも知らない時には 何にも知らないんだから何にも心配ないわ。
 要するに何にも知らないもんぐらい強いものはないんですよ。なまじ くだらねえことを知ってるからこそ 神経がとんがらかっちまう。だから この厳粛な事実から 常に 自分から好んで自分の命を粗末にするような まぬけなことをしないようにしなきゃいかん。
 いいかい どんな場合であろうと 自分というものの正体は 形ある肉体でもなければ あの幽玄微妙な働きを行なう心でもない 目に見えない一つの気体 ぜんぜん感覚できないけれども とにかく現在の自分を生かしてくれているこの<気>が自分なんだと こう思わなきゃいけない。これが信念化されると 生きる力が強くなるんだ。

            *
 
 これは自慢してもいいことだから自慢するけど 昭和15年 北海道から講演を頼まれて いざ行こうとする3日前に 急に私 声が出なくなっちゃた。

―続くー



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