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シニアの放課後

<心に成功の炎を>30 

2018年05月11日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 私は 早くから戦争に行って 爆裂弾の爆風でもって いちばん最初に左側の歯がいけなくなっちゃたんです。右側からパーッと来た爆風でもって どういうわけか私の体はみんな左側が悪いの。目は左側が見えなくなっちゃたしね。
私は 歯医者にかかって歯を抜いたことはめったにありません。面倒くせいから 自分で抜いちまいますけど 歯医者に行って抜くような場合でも 注射というのはしないのであります。京都の橋田博士が私の一番奥の大きい歯を抜くときに 私は言ったんです。
<今夜講演するんだから 注射しちゃあいかん。いきなり抜いちまいなさい> 
<けど 奥歯ですからね。おまけに先生の歯は根が三本になっていて 根を砕かなきゃだめですから>
<そんなもの わけねえじゃねえか。バッチでもってギュッとやりゃ砕けるがな>
<そんな無理なことを>
<じゃあお出しなさい 私がするから。出しなさい。ギュッとやりなさい>
<切開します>
<ああ 切開でもなんでもしなさい>
<先生 痛いですよ> 
<あのねえ 橋田さん いちいちそんなこと言わなくてよろしいの。私 生きてるからね 痛い かゆいはわかるの>
<ですから 痛いとさわりますが>
<大丈夫だよ。あんた 一生 私の歯を切ってんじゃねえんだろ。その歯を抜くために 歯の周りの肉だけそぐんだろ>
<そうなんです。それが痛い>
<大丈夫だよ そんなもの。長くかかりゃしないだろ 1時間も2時間も>
<ええ そりゃあ チョイチョイと>
<そうなんだろう。じゃあ続けてやって1分かからねえんだ。おやんなさい おやんなさい。構うこたねえ。あんたの歯をやってんじゃねえ。私の歯だよ。心配なくおやんなさい>
そのときに チョイとやっちゃあ 橋田博士 いちいち<お痛いですか>って聞くから
<痛くないよ そんな。あんたが痛いかと聞いたときは痛みは消えちゃってるがな。遠慮なくおし>
そのときは私はね きられてる歯なんか考えやしませんよ。歯は任せてあるんだもん。歯医者さんに。私には あなた方も知ってる安定坐法(『盛大な人生』398頁参照)がある。ほかのことを考えてる。
<血止めを>というから
<そんなものはいらねえ。出るだけ出りゃとまっちまうから 体じゅうの血みんな出やしねえ。抜いちまいなさい。構うこたねえ>
<3べん抜きます>
<そうだろう 三つにしちゃったからね。じゃあ抜きなさい>
<一番最後のやつがどうしてもだめです。奥深くにあって 突っ込みがききません>   
<面倒くせえ 私にかしなさい その釘抜きを>といって パッと取り上げて自分で抜いちゃった。そして
<これで抜けたろう>
<ハアーッ こんな無茶な人あるかしら>とびっくらこいたよ。
<無茶じゃねえんだ。あなた方のほうが不器用なんじゃねえか>と言い返したよ。
ねえ お互いにそのぐらいの辛抱できなくて この人生に生きていかれるかというんだ。ほんとうにたまらない苦痛だったら そういうことできませんよ。できる以上は その苦痛が 今まで自分の観念で描いていた 幽霊みたいなもんが付き添っていたってことを考えなきゃいけない。本当に苦しいことや本当に痛いことだというと 自分には気がつかなくなっちまうの。人事不省になっちゃう。まだ痛いな かゆいな つらいなと感じる以上は痛かない。
だから 私はなんとも思いやしません。私は肉体を自分だと思っていやしない。肉体は自分が生きるための道具だと思ってますから。

         *

 哲学的にいうと 肉体を自分だと考える人のことを本能階級の人というんです。それから精神が自分だと考える人のことを理性階級の人という。名が違っていても 両方とも本当の考え方じゃないんです。

―続くー



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