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平成の虚無僧一路の日記

『羅生門』と『藪の中』 

2018年04月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



黒澤明の『羅生門』は、全く不可解な映画だった。まず内容が、芥川龍之助の原作『羅生門』とは全く違う。内容は芥川の別の短編『藪の中』なのだ。羅生門で、乞食僧が「自分が見聞きした不思議な話」を語るという設定で、タイトルが『羅生門』となったのだ。話の内容は、妻を連れて旅する武士が、山中で野盗に襲われ、妻を手篭めにされた上、殺される。その後、野盗(三船敏郎)が捕らえられ、裁きを受ける。野盗と被害者の女との言い分が全く違う。そこで霊媒師が登場し、その口から、死んだ侍の無念な心情が語られる。ところが、三者とも、みな「自分が(で)刺した」と証言しているのだ。普通なら、「自分は殺ってない」と他人に罪を押し付けるところが、三人とも、「自分が(で)殺った」と主張している。この話から、「真相は藪(やぶ)の中」というのが、慣用句になったそうな。 完成時、大映の社長は「わけがわからん」と不評を示したが、 ヴェネチア国際映画祭でグランプリを獲ると、自分の手柄の ように自慢したという。君子豹変だ。初め観た時は、私もちんぷんかんぷん。何度か観て、少し捉えられるようになった。三船敏郎演ずる悪盗と、殺された武士、そしてその妻、三者とも、面子にこだわる言い分なのだ。野盗は、女に「殺してくれ」と頼まれ、男の縄をほどいて、正々堂々切りあって勝ったのだ。と女は、「犯された私を、夫は蔑んだ目で見た。もはや夫婦を続けることはできないと夫を刺し、自分も死のうとしたが死ねなかった。夫は「なんと妻は、野盗に惚れ、『こんな男を捨てて、あんたと一緒になりたい』と野盗に着いていってしまった。女房に逃げられては男の面目が立たない。自分で胸を刺したのだ」と。結局、真実は「藪の中」。さらに、ラストがますます不可解。雨も上がり、乞食僧は、捨てられていた赤ん坊を抱いて、羅生門を立ち去ろうとする。その時、話を聞いていた一人が問いただす。「判ったぞ、その男を刺した小刀はどうなったんだ」と。どうやら、藪の中から、その僧は一部始終を観ていたわけだ。そして、虫の息の侍にとどめを刺して、胸から小刀を抜いて持ち去り、売り払って金にした。また子供も人買いに売ろうという話らしい。意外な結末だ。この『羅生門』も『藪の中』も、原典は平安時代の『今昔物語』。千年を経た今日でも、そっくりそのまま、ワイドショーでも報じられそうな事件である。
欧米では、真相不可解な事件があると「ラ・ショーモン」というそうな。それほど、黒沢のこの映画は、外国でも有名らしい。

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