メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

シニアの放課後

<心に成功の炎を>6 

2018年04月13日 ナビトモブログ記事
テーマ:中村天風<心に成功の炎を>

 病弱な人間見てごらん。みんな神経が過敏で 気が弱くて やたらに怒って やたらに恐れて やたらに悲しんで 憎んで そねんで ねたんで 悶えて 悩んでる。
 そうするとまたね そばについている人間 他人ならともかくも それが親ばかちゃんりんの場合は 病人が怒ったり泣いたりすると 看護の人に<勘弁してやってください。病人ですからね>なんていって弁解する。そして 病人に<さあ 怒りたいときは怒り 怒り>と慰める。なんですか これ。
 まこと 感じ来たり 感じ去れば 丈夫になりたい 達者でいたい 長生きしたいと こいねがう心やまやまありながら やってること すること なすこと すべてのことが短命で 病が治らないようにすることばかりやってる。
 東京に行くつもりで九州行きの汽車に乗ってるようなもので これでは東京に着こうはずがありませんよ。

 もっとも 正しい科学文化思想に目覚めてない人は<万物の霊長としての人間のうえに神様がいるよ>とおっしゃるでしょう。
 私は 神仏というものの存在を 第二儀的に人生を考える者には必要かもしれないが 自分自身を真理にそって正しく生かす者に対しては なんら顧みる必要のない存在だという大きな確信のもとに人生を生きております。
 私も祖先を敬いますよ。けれど 私は化学文化の先端につねに自分の人生に対する理解を求めているものです。したがって 私の目には見えもしない抽象的な なんだかわからない神なんてものや仏というものをあてにして生きておりません。
 あるものはただ 宇宙の一切を支配する根本エネルギーであるブリル( Vril 大自然のもつ神秘の力 )だけであります。これは科学でいうと微粒子的存在としていますが あらゆるすべてのアトム<原子>の先祖であります。これが自然界を支配し 宇宙に存在するものというものの一切を支配しているのであります。
 そして このブリルの収受量 言いかえれば 根本エネルギーである大きな力の受け入れる量ををできるだけ多くすることが生命を強く 長く 広く 深く生かす 一番の大根大本になるんです。
 人があるというからあるんじゃなかろうか いるんだっていうからいるんじゃなかろうかというような気持で持って しかもあいまいな 自己欺瞞な 独自の断定でもって考えているような神仏 それが何になるんですか。いえ そういうものを考えているから あなた方が人生を生きる場合に 少しもそこに決定した生き方ができないんです。人生に対する自覚を少しも自分自身の心に植えつけようとしない。
 苦しいときの神頼み。病でも治りがおそいとか 運命でも悪いというと<神様 仏様>といえば 治してもらえると思ってる。ふだんそれほど親しくもしてないで ただ考えてるというだけの あっさりした 薄情な気持をもってる人が いざさらばのときに<お助け>といったって 神様 仏様が助けるか。そうでしょう。それとも 助けられた人があるかいな。あるとしたら その人は 自己催眠にかかってる人だ。この宇宙に存在する偉大な根本エネルギーは 神とか仏とかと名をつけるほど安っぽいものじゃないんです。
 ただ 化学が今ほど進歩していなかった時代の人間を考えると この宇宙の一切の運行の事実が 不思議に見えたでしょうなあ。ちょいと花ひとつ咲くのを見たって 不思議だと思えば不思議だもの。
 昼がきて夜がきて 夜がきて昼がきて これも不思議だ。晴れわたる明澄の一夜 表に出る。空をみりゃ すぐ不思議な感じにぐっと包まれますわな。
 昼もあざむく皓々として大千世界にほくそ笑みかけて照る月 この月がまた 毎日毎日 大きくなったり 細くなったりするんですからねえ。そして15日の間 ご無沙汰になって 15日たつとまたやってくる。どこが果てか 果てがわからない 見渡す限り無極無辺際の大空に らんらんとしてきらめく星。
 そして春がくりゃぁ花が咲いて 秋がくりゃあ紅葉して 冬がくりゃあ木が葉っぱ落す。昼があって 夜があって 朝があって 午後があって 水があって お湯があって 火があって 煙があって 私は子供のときから不思議だなあと思った。
 <森羅万象の様々な変化変転 染め出す人はなけれど春来れば柳は緑花は紅>これは よく坊主が使うお説教の言葉です。このわずかな文句の中にも宇宙の変化変転はうたわれているが これを考えようによるとね すぐ神仏にもっていってしまうんだよ。
 これは自然の現象であります。この自然現象の原動力となるものを 科学的な知識の少なかった時代はわからなかったんです。
 ねえ ぼやぼやしちゃあいけませんよ。人工衛星が飛んでいるときに 何といやあ すぐ神棚の前で手合わせたり 仏様の前へいってお線香あげたりして なんとまあ じつに今の人間の知識の状態がでこぼこだってことがおわかりになりますでしょう。
 自分自身の感情を自分自身が正しく統御しなければ いわゆるセルフコントロールというのが正しくなければ なんでそういう神だのみの人間に正しい結果がきましょう。
 昔の人に歌にこういうのがある。

   心だに誠の道にかないなば祈らずとも神や守らん

 誠の道というのは 宇宙真理に即した 寸分間違いない 本当の道の意味なんです。
<1行空く>

ー続くー



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







上部へ