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近代のクーデター決行者(4人の決起将校) 

2018年03月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



2・26事件の決起将校たち

 ☆決起将校(磯部浅一、村中孝次、野中四郎、安藤輝三)
 ☆事件で殺害された要人(高橋是清、斎藤実、渡辺錠太郎)

磯部浅一(革新派の急先鋒で2・26事件を主導)
☆計画から準備、実行までを取り仕切った
☆北一輝の『日本改造法案大綱』をバイブルとし革新運動への情熱を燃やす
 ☆狂信的な国家改造の思いに駆られてテロ行為へと突き進んだ
 ☆革新青年将校に理解のあった真崎陸軍大将が教育総監を罷免される
 ☆磯部は、黒幕と目される、統制派中央幕僚部に激しい反感を抱いた
 ☆尊王義軍をもって任じていた磯部
 ☆収監された後も、天皇による大赦に望みをかけていた
 ☆同志の将校が銃殺刑に処せられると、天皇への激しい怒りを露わにする
村中孝次(理論派の陸軍大卒のエリート)
 ☆村中は、皇道派の青年将校のなかでも屈指の理論家
 ☆武力行動に反対し、合法的な手段による国家改造を目指していた
 ☆村中の命運を大きく変えたのが「陸軍士官学校事件」
 (村中は磯部らとともに検挙され停職処分を受けた)
 ☆事件は、統制派幕僚がでっち上げた
 ☆免官された村中は、実力行使で昭和維新へと邁進していった
野中四郎(冷静にして実直な性格)
 ☆最も危険とされた桜田門の警視庁占拠の役目を任された
 ☆野中は、約430人の決起部隊の兵力を率いて任務を遂行し、無血占拠を成し遂げた
 ☆遺書には、「我れ狂か愚か知らず一路遂に奔騰するのみ」という句がしたためられていた
 ☆蹶起趣意書の草案作成にも携わり、筆頭人として名を記した
安藤輝三(最後まで決行を躊躇)
 ☆約200人の下士官と兵を引きひて官邸鈴木貫太郎侍従長を襲撃した
 ☆鈴木は瀕死の重傷を負うが、安藤がとどめを刺さなかったことから一命を取り留めた
 ☆天皇の兵を勝手に使うことへの抵抗感も、安藤を躊躇させていた
 ☆決起への参加を表明したのは事件直前(安藤は部下からの人望も厚っかった)
 (歩兵第三連隊の将兵たちが決起に動いたのも、安藤の存在が大きかった)
 ☆最後には、自決を図ったが死にきれず、後に軍法会議で死刑となった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『日本史”悪役”100人(世界文化社)』








近代のクーデター決行者(4人の決起将校)(『日本史”悪役”100人』記事より画像引用)

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