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平成の虚無僧一路の日記

はるかな尾瀬 

2011年05月01日 外部ブログ記事
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東電、尾瀬の土地売りたいけれど…(読売新聞) - goo ニュース

「夏が来〜れば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空」

江間章子作詞、中田喜直作曲の『夏の思い出』は、1949年
(昭和24年)NHK『ラジオ歌謡』で 石井好子が歌って
尾瀬を一躍 有名にした。尾瀬は、福島県の会津若松側から
はいると、只見川をずっとずっと遡って、桧枝岐のさらに
奥地だ。桧枝岐の村民のほとんどが「星」姓である。

中田喜直は尾瀬に行ったことはなく、初めて尾瀬に行った
のは40年後のことだったとか。かく云う私も、福島県人で
あれば、一度は行きたいと思いながら一度も行っていない。
「はるかな尾瀬 遠い空」だ。

実は、私の父は、東京電力を退職すると、東電の子会社の
「尾瀬林業」に勤めていた。東電は 尾瀬の70%、群馬県側の
100%の地域を所有している。東電が ここに ダムと水力発電所の
建設を計画したのは 大正11年(1922)のこと。その以前から
住み着いていた平野長蔵氏がこれに反対し、尾瀬は 開発か
自然保護か、半世紀以上も 抗争の舞台となった。

私の妻の叔母が「蜂谷緑」のペンネームで文筆活動を行っていて、
『ミズバショウの花いつまでも−尾瀬の自然を守った平野長英』 で
毎日文学賞を受賞した。「東電」と闘った長蔵小屋の2代目
「平野長英」の活動を紹介した本だった。

その「受賞祝賀パーティ」に 私も出席し、尺八で『夏の思い出』を
演奏した。私としては、ちょっと複雑な思いだった。

現在では、東電は、ダム建設を断念し、「尾瀬林業」は5つの
山小屋の経営と、尾瀬の自然環境保護に取り組んでいる。
したがって、「尾瀬林業」は、収益は ほとんどない「自然環境
保全」の事業会社だ。それを売却したいという話。

ひと昔前は、猫も杓子も押しかけた観光地だったが、今は
どうなのだろう。車では行かれないから、とても「安近短」とは
云えない。「遠く、はるかな尾瀬」か。はたして、事業を
受け継ぐ人はいるか。「孫」さんぐらいか?

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