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九段下「しょうけい館」と九段上「遊就館」が対照的な内容の企画展を始めます 

2018年02月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



千代田区九段南1−5−13の「しょうけい館」と、九段北3-1-1の「遊就館」がそれぞれ三月から企画展を開きます。



 戦傷病者の中には、義眼や義手、義足などの補装具と共に生きてきた人たちがいます。彼らは戦闘や訓練での負傷や病気によって身体の一部を失い、その代わりに補装具を着けて生活することになりました。戦後、身体障害者という立場で多くの労苦を体験しましたが、自らの努力と妻や周りの人たちの支えによって乗り越えてきました。
 ひとくちに補装具を着けて生活してきた戦傷病者の労苦といっても、様々な負傷や病気が原因となっているため、一人ひとり異なる労苦があります。補装具を着けて苦しい訓練に耐え日常生活を送ることができるようになっても、補装具では自分の手足と同じ動きをすることは難しく、就職を断られたり、仕事をやめさせられたりすることもありました。さらに、現在ほど障害者への理解がなかったため、様々な差別を受けることもありました。
 今回の企画展では、目や腕、脚などの身体の一部を失い、補装具を使って生きてきた戦傷病者たちの労苦とそれを乗り越えた努力を、補装具の中でも代表的な義眼、義手、義足の実物資料を中心に、証言映像と共に紹介します。

【写真の方は松竹の俳優佐田啓二(中井貴一の父)かと見間違うほどの美男子です。一昨日、しょうけい館を見学したとき、学芸員に訊ねましたら、傷痍軍人のご遺族が提供された写真だそうです。】
【注】靖国神社が、戦病死者を英霊として合祀するのは日清戦争後のことです。
「なお靖国神社の合祀基準中、戦病死者の特別合祀を決めた日清戦争後の大改革は、この戊辰戦争の祭神の合祀の先例を再発見する形で改訂されたものである。」(赤澤史朗著岩波現代文庫「靖国神社」25頁)



 幕末、急激に日本に押寄せる外圧に対抗するため、幕府は開国を行うと共に近代化を推し進め国防の強化を図ります。こうした中、雄藩による攘夷が決行され、各地で勃発した戦いでは諸外国の強力な国力を知る事となりました。我が国は、攘夷が不可能である事をさとりつつ幕藩体制を改め、朝廷を中心とした近代国家に生まれ変わろうと大政奉還そして王政復古を成し遂げます。しかし、大変革を求めて始動した新政府は、一方では避けることができなかった戊辰戦争を生み、多くの尊い命が失われました。
明治天皇は、宸襟を深く悩ませられ、明治政府はその大御心を体して国家のために一命を捧げられた人々の霊を慰め、事蹟を後世に伝えようと明治二年東京九段坂上に招魂社を創建したのです。
 招魂社は明治十二年「靖国神社」と改称され、爾来今日に至り平成三十一年には、御創立百五十年という節目の年を迎えます。英霊としてお祀りされている御祭神は、嘉
永六年にまで遡り、遊就館では本年から二年二期に分けて今日までの歩みを特別展として展示解説致します。
前編では、十八世紀から興った産業革命以降、欧米諸国が植民地獲得のためにアジアに進出してきた禍乱の時代から、明治二年当神社創建までを取り上げます。そして明年平成三十一年の後編は、創建から今日までの神社史を中心に「靖国神社御創立百五十年展」をそれぞれ開催致します。
 靖国神社創建を起点として、その前後の近現代史を改めて顧みつつ、未曽有の国難に立ち向かわれた御祭神のみこころに触れて戴ければ幸いです。

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