メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

佐久間象山(空気を読むな、時代を読め!) 

2018年02月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



佐久間象山(しょうざん)(江戸時代松代藩士、兵学者・朱子学者・思想家)

象山幼少期
 ☆信濃松代藩士・佐久間一学国善の長男として信濃で生まれる
 ☆象山は約175cmの長身で筋骨逞しく肉付きも豊かで、二重瞼で眼は少し梟の眼のようであった
象山仕官し国元での活躍
 ☆象山藩儒の竹内錫命に入門して詩文を学ぶ
 ☆佐藤一斎の門下生であった鎌原桐山に入門して経書を学んだ
 (最も象山に影響を与えたのは鎌原桐山)
 ☆藩主の真田幸貫の世子幸良の教育係に抜擢された(幸貫は象山の才能は高く評価)
象山江戸出府と兵学家の地位確立
 ☆儒学の第一人者・佐藤一斎に詩文・朱子学を学び「佐門の二傑」と称されるに至る
 ☆江戸の神田で、私塾「象山書院」を開き儒学を教えた
 ☆松代藩主真田幸貫が老中兼任で海防掛に任ぜられると象山は顧問に抜擢される
 ☆象山、蘭学の修得の必要に目覚め、オランダの自然科学書、医書、兵書などの精通に努めた
象山は、大砲の鋳造に成功し西洋砲術家としての名声を轟かす
 ☆蘭学を背景に、ガラスの製造や地震予知器の開発に成功し、牛痘種の導入も企図していた
 ☆江戸に移住し「五月塾」を開き、砲術・兵学を教えた
 ☆勝海舟、吉田松陰、坂本龍馬ら後の俊才が続々と入門している
 ☆ペリーが浦賀に来航した時、象山はこの機に松陰に暗に外国行きを勧めた
象山失脚からその死まで
 ☆門弟の吉田松陰が再び来航したペリーの艦隊で密航を企て失敗する
 ☆松陰から相談をもちかけられた象山も、この事件に連座し伝馬町牢屋敷に入獄
 ☆象山は、一橋慶喜に招かれて上洛し慶喜に公武合体論と開国論を説いた
 (京都は、尊皇攘夷派の志士の潜伏拠点で、象山には危険な行動でした)
 ☆象山、三条木屋町で、前田伊右衛門、河上彦斎等の手にかかり暗殺される
象山の人物・逸話
 ☆業績を残したが彼の評価が低いのは、その性格に由来するところが大きい
 (象山自らを「国家の財産」と自認していた)
 (勝海舟の妹が象山に嫁いだが、勝は象山を評価していない)
 ☆門弟には松陰他、多数の日本を担う人材を輩出し、幕末の動乱期に多大な影響を与えた
 (当時の日本で、象山は洋学の第一人者だった)
 ☆象山が横浜開港を徳川幕府に主張したことにより横浜港が開かれた
 ☆福沢諭吉が慶應義塾を創設したのも象山の影響があった
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『WIKIPEDIA』










佐久間象山(空気を読むな、時代を読め!)(NHK「知恵泉」『WIKIPEDIA』より画像引用)

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ