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平成の虚無僧一路の日記

琴は聖人君主の楽器 

2011年04月25日 外部ブログ記事
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『太古遺音』より

【琴が宜(よろ)しきところ】

「官にある者、世を遁れた者、儒學者、道士、徳ある者、これら五者は
その雅において聖人の樂にかなひ、琴を彈ずるに相応しい。官にある者は
大雅聖徳の歌を鼓し、世を遁れた者は流水や高山の調べを操し、儒學者は
平和で清らかな治世の音を撫し、道士は 風を御す飛仙の曲を操し、
徳ある者は枯淡にして清虚の吟を彈ず。すなはち琴を鼓すには、
伯夷叔齊兄弟や柳下恵の流れを汲む者でなければならない。

琴を學ぶものは、必須の条件として文學を有し、詩をよく吟ずる者で
なければならない。その姿容貌は、必ず清らかであること、古めかしく
威厳あること、俗人であってはならない。

その心には必ず仁義、慈愛、美徳を有し、よく貧に甘んじ、志を堅く
守る者でなければならない。

その言葉には、必ず「誠」があること。軽々しく華やかで虚飾があっては
ならない。

琴を鼓すには、必ず明るい堂内、静かな室内、あるひは竹林の中、
松の木の下を擇ぶべきである。


【琴が忌むところ】

心中に徳無く、口上に髯無く、胸中に詩が無い者。これら三俗は 琴を
鼓すべきではない。 

商売として琴を鼓すべきではない。琴は本来、聖人が身を修め性を養ふ器
なのである。商売といふのは利益を求め、ものを惜しみ貪ることであるから、
聖人の道に反する。 

役者(演奏家)は琴をあへて鼓すべきではない。漢代や唐代では神樂の官が
これを司ったのである」


というわけで、現代には そんな「聖人」が居なくなり、「琴」も絶滅したか? 

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