メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

バーチャル旅行(モロッコの歴史12) 

2017年10月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



モロッコの歴史

フェニキアの植民市とローマ帝国の支配
 ☆モロッコには、紀元前3千年頃から先住民族ベルベル人が住んでいた
 ☆紀元前12世紀頃、モロッコの沿岸にフェニキア人が到来する
バンダル人と東ロ―マ(ビザンチン)帝国の支配
 ☆ヨーロッパ大陸で始まった民族大移動
 ☆バンダル人が土地を求めてイベリア半島から北アフリカまで南下
アラブ人の到来
 ☆西アジアでイスラム教が誕生した
 ☆アラビア人による、ウマイヤ朝が興った
 ☆モロッコに侵入し、ベルベル人をイスラム教させた
モロッコ最初のイスラム王朝(イドリス朝)
 ☆アリーの子孫は、エジプトのアンバース朝で反乱を起こすが失敗
 ☆モロッコヘ亡命し、ベルベル人の力を借りて、初のイスラム王朝シーア派イドリス朝を興した
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『モロッコ地球の旅』


モロッコの歴史(WIKIPEDIAより画像引用)

フェニキアの植民市とローマ帝国の支配
紀元前5世紀頃にはカルタゴの植民市となる
ローマとヌミディア王ユグルタが戦ったユグルタ戦争
マウレタニア王ボックス1世はローマに味方し、ユグルタを攻め領土拡大
ボックス2世は、死去後領土をローマにささげた
ローマ皇帝は、その地をローマの属州とせず、植民地とした
マウレタニア王国は、東西に分割される
ふたつの国の支配力は弱まり、ゲルマン民族の一派、バングル人によって征服された

バンダル人と東ロ―マ(ビザンチン)帝国の支配
モロッコの沿岸部一帯を支配する
マウレタニアを占領し他のの北アフリカ地域を征服する
バングル王国は、東ローマ帝国に減ぼされた
モロッコの3分割統治
 ☆地中海沿岸は東ローマ帝国
 ☆エッサウィラやセウタなどはゲルマン人の一派、
 ☆そのほかの地域はベルベル人の王国、公国に分裂

アラブ人の到来
アラビア半島を制すると、ササン朝ペルシャ王国を滅ぼし、エジプトをも征服
モロッコに侵入し、ベルベル人をイスラム教させた
偉大な指導者、マイラサが反乱を起こした
モロッコは、カリフのあらゆる政治束縛から解き放たれた

モロッコ最初のイスラム王朝(イドリス朝)
イドリス1世は、勢力を広げ、アルジェリアの一部までを領土とした
子供のイドリス2世は、首都をフェズに移した
イドリス朝は中央集権制をとり、北モロッコの諸部族を、ベルベル人の王国のもとに統治
フェズは、モロッコのイスラム文化の中心地となった
イドリス2世の死後は、繁栄は下降線をたどり、スペインの後ウマイヤの支配下に入った
後ウマイヤ朝の減亡後は、いくつかのベルベル人の王国に分裂した

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ