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徳川家康(東照大権現)と日光 

2017年10月07日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



家康はなぜ日光で「神(東照大権現)」になったか? 

徳川家康亡くなる間際に側近を集めて遺言
 ☆遺体は久能山・葬儀は増上寺・位牌大樹寺・日光山に勧請せよ
 ☆久能山は家康が少年期と晩年を過ごした駿河にある
 ☆増上寺は徳川氏の菩提寺、三河国の大樹寺は父祖・松平氏の菩提寺
 ☆下野・日光山だけが生前の家康や徳川氏に特別なゆかりがない
家康が、恒久平和を願う神となるための重要な儀式だった日光改葬
 ☆天海、臨済宗の僧・崇伝、吉田神道の権威・梵舜が大きな役割をになった
 ☆梵舜は、豊臣秀吉を「豊国大明神」として祭らせた豊国神社の創建に関わった
 ☆家康の神号をめぐり「明神」か「権現」かで論争が起きる
 ☆天海が「権現」を主張し論戦に勝った
「東照大権現」の意味
 ☆天海の創造した神様は「東のアマテラス(天皇家の祖先神)」に対峙する関東武士の祖先神
 ☆豊臣秀吉の「豊国大明神」と差別化した「大権現」という呼称が天海のオリジナルなアイデアです
 ☆権現とは「神が、仮に仏の姿を取って現われた」という意味
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、BS11『尾上松也の謎解き歴史ミステリー』『産経新聞』
















徳川家康(東照大権現)と日光(『尾上松也の謎解き歴史ミステリー』番組画面より画像引用)

奈良時代後期に勝道上人が開いた日光山
関東武士の尊崇を集めた山岳信仰の霊場です
鎌倉幕府を開いた源頼朝は寄進をしていたが、戦国末期には衰退していた
家康は、源氏の末裔を名乗って東国をまとめ上げ天下を統一した人物
家康は、頼朝を尊敬していた

日光は地理的条件にも恵まれていた
日光が江戸から見て、北極星の輝くほぼ真北の方向にあった
北極星は、古代中国で宇宙を主宰する神と認識されていた
「天子南面す」の言葉通り、君主は北極星を背にして南向きに座す
神と一体となって国をつかさどるとされてきた
「北極星を背に江戸を守る」という宗教的意義を持った場所として日光は最適だった

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