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尺八と横笛吹きの独り言

赤壁の賦(せきへきのふ)・・・・山田流箏曲 

2011年03月29日 外部ブログ記事
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●いよいよ6寸曲の「赤壁の賦」に入る。(師範課題曲55曲の一つ)
この曲の元になった蘇東坡(そとうば)の漢詩(1082年)が「赤壁の賦」がこれ。 
この山田流箏曲「赤壁の賦」の背景を吹く前に探ってみました。
●漢詩の作者・・・・蘇東坡(そとうば)という人
蘇軾(そ しょく、景祐3年12月19日(1036年1月8日) - 建中靖国元年7月28日(1101年8月24日))は中国北宋代の政治家、詩人、書家。東坡居士と号したので、蘇東坡(そとうば)とも呼ばれる。字は子瞻(しせん)。唐宋八大家の一人。蘇洵の長子であり、弟の蘇轍とともにそれぞれ大蘇、小蘇とも称される。
(フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より)
●赤壁賦の背景  
宋の元豊五年(1082)秋七月十六日夜、蘇東坡が月明に乗じて舟遊びして、三国の英雄曹操や周瑜の風流を偲び、自分がはかない流人の身の上であることを嘆き、無限な生命の前では古人も我も何等選ぶところが無い、儚いものであり、萬物同一であることを悟り、明月と江上の清風とを楽しみ憂いを忘れたと言う感慨を述べた名文。後赤壁賦に対し前赤壁賦がある。

●箏曲「赤壁の賦(せきへきのふ)」
山田流筝曲
松本一太 作歌 中能島欣一作曲
中国北宋代の政治家、詩人、書家である蘇東坡(そとうば)が「赤壁の戦い」(西暦208年・80万の曹操(そうそう)の大軍と6万の孫権(そんけん)・劉備(りゅうび)の連合軍)の戦いでわずかな軍の連合軍が勝利する)での無常を漢詩で読んだ
(戦後874年後の1082年)。これを歌詞として松本一太氏が作歌、中能島欣一氏が昭和9年(漢詩ができた後852年後の1934年)に作曲した。
●「赤壁の賦」歌詞
月明らかに星稀(まれ)に、南に飛ぶや鵲(かささぎ)と、戟(ほこ)を横たへ歌ひけん。
勝ちほこりたる英雄(つわもの)も時は移りて今いづこ、
うき世に遠き身のかろく、一葉(ひとは)の船に月の夜を、酒汲みかはすおもしろや、
消ゆれば夢か絲遊(いという)の、儚(はかな)き身をば天地(あめつち)に、容(い)れて短かきいのちかな、
流れもつきぬ長江(ちょうこう)の、月を肴に夜もすがら、酌む盃のかずかずや、

缺(か)けては盈(み)ちつ、盈ちては缺くる、笑ひつ泣きつ村雲の、晴るれば圓(まろ)き月の顔、
あゝ逝(ゆ)く水は日夜を捨てず、千秋萬古(せんしゅうばんこ)流れはつきず、愚かの迷ひ何をか淀(よど)まん。
かの山間(さんかん)の名月と、かの江上(こうじょう)の清風(せいふう)は、見れども飽(あ)かず、取れどもつきず。
皎々(こうこう)として千里を照らし、飄々(ひょうひょう)として萬戸(ばんこ)に入る。
あらおもしろの風情(ふぜい)かな、いざ盃を酌みかはし、流るゝ水に舟を任せん、流るゝ水に舟を任せん。
http://www.tone-take1.com/northern/cdfiles/zenyamato_1stcd.html

●「赤壁の賦」訳
「月は明るく 、星は少なく、南に飛ぶことよ、鵲(かささぎ)が」と、戦いの前夜、戟(ほこ)を横に構えて
歌ったという、中原(中国の中央部)を制覇して勝ち誇った英雄曹操も、その翌日破れ、時は移って、
今ど こへ消えてしまったのか。今、浮き世から遠く遁れた我が身は 軽 く、一艘の小舟に乗って月の夜を、
酒を酌み交わす、風情あることよ、消えてしまえば夢か、陽炎のように
儚(はかない)いこの身を!天地(あめつち)の間に入れている、人の命は、短い物だなあ。
いくら味わっても尽きない長江の月の光を肴(さかな)に夜もすがら、酌み交わす盃の数々よ
欠けては満ち、満ちては欠ける、笑い、泣き、迷いが晴れれば、円満な澄んだ心の世界が垣間見える。
ああ、流れ行く水は日夜を分かたず、千秋万古、流れは尽きない。
水の流れは淀(よど)まないが、人間の愚かな迷いは、何をこだわっているのだろうか。
あの山間の名月と、あの江上(こうじょう)の清風(せいふう)は、いくら見ても見飽きず、いくら取っても尽きることはなく、
皓々(こうこう)と明るく千里の遠くまでを照らし、飄々(ひょうひょう)と吹き渡って、全ての家々に訪れる。
ああ、趣のある 風情だなあ、さあ、盃を酌み交わし、流れる水に舟を任せよう。 
http://www2u.biglobe.ne.jp/~houmei/kasi/sekiheki.htm

●「赤壁の賦」について(尺八・善養寺惠介氏の記述から抜粋)
昭和9年、NHKの委嘱によりこの『赤壁賦』は作曲された。宋代の名文「前赤壁賦」の自由訳を歌詞としている。名月をめでる宴の小舟が、三国志中屈指の激戦地、赤壁あたりにさしかかると、客人の中に切々と笛を奏でるものがあった。その音に映る深い悲しみに驚いた蘇東坡は、人生の寂寥(せきりょう)に襲われて嘆くこの客人に向かい、座を直して真摯に語り合い、
やがて客人は笑顔を取り戻したというエピソードが、月明かりに照らされた、悠久の長江の景色の中に綴られている。
 原文の格調高さを失うことなく、しかも難解に陥ることもない。この美しい詞章と音の配列は、半世紀を過ぎて尚多くの聴衆を惹き付けて止まない。

 
●魏(ぎ)・呉(ご)・蜀(しょく)の三国時代に曹操(そうそう)・孫権(そんけん)・劉備(りゅうび)の3人が50年もの長きにわたり闘いつづける。その中の最大の闘いである「赤壁(せきへき)の闘い」(英語でレッドクリフ)
これを映像化した大作がレッドクリフだ。見ました。

 
●赤壁の戦い
●fueブログ・映画感想
http://blogs.yahoo.co.jp/shakuhachi_fue/47659740.html
80万の大軍を率いる曹操(そうそう)、これに対してたった6万の軍隊で孫権(そんけん)・劉備(りゅうび)の連合軍がこれに挑む。
結局、奇策を実行したわずか大差のある6万の連合軍のほうが勝ってしまうのだ。
劉邦と項羽が戦って、秦が破れ漢の時代を劉邦が作るが、この漢の時代より後の時代になる。
殷(いん) 周(しゅう) となり、秦(しん)の始皇帝が中国全土を統一した秦の時代、 そして 劉邦の漢(かん)の時代、このあとの 群雄が割拠するするのが三国(さんごく) 時代だが、この映画は三国時代を形成する前の群雄割拠の時代なんだろう。
日本の「大化の改新が645年」だからね、それより400年も前の時代のお話だ。源氏物語などまだできていない。古い古い時代のお話だ。

圧倒的に不利な連合軍の軍師である孔明(こうめい)と司令官の周瑜(しゅうゆう)との奇策がおもしろい。物語の初めに解説があったのが気に入ったね。ストーリーがわかりやすいのだ。

弓矢が3万本しかない、そこで軍師の孔明はわら人形を仕立てた船団で霧を予知して敵陣に出撃する。敵の矢は霧の中、これに向かって放たれ、わら人形にまんまと10万本の矢をせしめて帰還する。やるねえ。

司令官の周瑜も負けてはいない。相手の船団の司令官2名が、こちらとつながっている怪文を曹操にみせる策略に打って出る。曹操はまんまとこれにひっかかり、曹操の船団の司令官2名はその場で殺されてしまうのである。思うつぼで策略がうまい。

●当時、絶世の美女「小喬」の役。リン・チーリンは美人でした。
この手の顔に多くの男性はころっといってしまう。わたしもそうよ。
赤壁の賦を吹く前にもう一度この映画「レッドクリフ」を借りてリン・チーリンを見たいものだ。

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