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世界史(イスラム帝国でトルコ系民族の台頭) 

2017年06月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



イスラーム世界を支配したトルコ系王朝

古代の文化を近代ヘ伝えたイスラーム世界
イスラーム世界は、ヨーロッパよりも水準の高い文化を保持していた
 ☆ヨーロッパ文化は、ルネサンスにより発展
古代ギリシア・ローマの文化は、イスラーム世界を経由しヨーロッパに入る
アッバース朝によって建てられた研究機関の研究内容
 ☆ギリシア語の文献をアラビア語に翻訳し、古代ギリシアの幾何学や哲学が継承された
 ☆インド数字を改良したアラビア数字(現在の算用数字)もつくられた
イスラーム帝国では、各地でシーア派勢力が台頭
軍事奴隷からのしあがったトルコ人がセルジューク朝建てる
 ☆トルコ人が力をつけ、イスラーム世界の実質的支配者となる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、『世界史(成美堂出版)』
 ☆本には、綺麗な絵画が記載されています




イスラーム世界を支配したトルコ系王朝(世界史(成美堂出版)記事より画像引用)

イスラーム帝国では、各地でシーア派勢力が台頭
アッバース朝は、8世紀末に最盛期を迎え、首都バグダツドは繁栄した
アッバース朝は、8世紀末以降は地方政権の自立などによって衰退
チュニジアにシーア派のファーティマ朝が興り、エジプト、シリアに版図を拡大した
ベルシアに、シーア派のブワイフ朝が建てられ、カリフの権威をブワイフ朝に認めた

イスラーム帝国の東部では、トルコ人の軍事奴隷が台頭
軍事奴隷からのし上がったトルコ人、セルジューク朝(トルコ)を建てる
セルジューク朝が、バグダッドを占領しブワイフ朝は減んだ
セルジューク朝は、官僚へのイラン人の登用、行政用語へのベセンア語採用

トルコ人のセルジューク朝は短命に終わる
11世紀後半には、アナトリア地方に侵入
 ☆ビザンツ帝国の皇帝がローマ教皇に助けを求め、十字軍遠征のきっかけとなった
セルジューク朝の全盛期は短く12世紀に滅亡
 ☆地方の軍団が自立・十字軍の侵入が要因

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