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平成の虚無僧一路の日記

無言館館主 窪島誠一郎氏 

2010年04月29日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「無言館」の館長 窪島誠一郎氏の講演を聞いた。

風邪をひかれたせいか、講演慣れしているのか、
役者なのか、淡々とよどみなく語る口調は、冷淡で
重苦しく不快な人だ。

「私は養母が嫌いだった。養母は毎日『あの戦争さえ
なければ、あの戦争さえなかったなら』と愚痴をこぼ
していた。それを聞くのがたまらなくいやだった。時
には、殺したいほど嫌いだった」との言葉が私の胸に
突き刺さった。私も母親が“殺したいほど”憎かった。
「朝起会」の学びが無かったら、私は“母親殺し”で
今頃「獄中に泣く悔悟の老人」だ。

全国の戦没画学生の遺族を訪ねて、その遺作を収集し、
借金して美術館を造った。彼をそこまで駆り立てた
心底にあるもの、それが親不幸を重ねてきた半生の
贖罪だと、窪島氏は語る。

ネットで検索すると。
窪島誠一郎の実の父は、なんと水上勉。水上勉が無名の
極貧時代に、同じアパートに住んでいた女性に産ませた
子で、育てることができず、靴職人の夫婦に預けられた。
その養父母も靴磨きで糊口をしのぐ極貧の生活だった。

窪島誠一郎は、そんな貧乏生活の中での養母の愚痴が
耐えられなかったのだ。
長じて、両親が実の親で無いことに気づく。そして父親
探しが始まり、なんと実の父が水上勉と知り、有頂天に
なって父子の対面を果たし、本にも書いた。しかし、実の
母の居所も判明したが、自分を捨てたことを恨み、実母
には一度も会おうとしなかった。実母はそのことを悲しみ、
子を思う母親の心情をつづって自殺したという。

窪島誠一郎は養父母も三畳一間に押し込め、介護は妻
まかせにしていたという。

そして、借金をしての「無言館」建設で、妻にも大変な
苦労を強いている。ブログの中には「わがまま勝手な男」
と批判の声もあった。私自身も、親不孝の限りを尽くし、
妻子にも苦労ばかりかけてきた。窪島氏に自分を重ねて見、
反省と悔悟の念で震撼を覚えたのだ。

「無言館」の「戦没画学生」の絵は NHKの『日曜美術館』
などで何回か見た。“命限りの”の魂の叫びに涙する。
命賭けた究極の境地の芸術。それに憧れるのだが・・・・。
いかん、私は余りにも恵まれすぎているから、芸に厳しさ
がむない。それはそれで、親の徳、恩愛に感謝である。]]>

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