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平成の虚無僧一路の日記

海童道祖のこと つづき 

2010年04月27日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



私が海童道を知ったのは、NHK・FMで放送されたのを聞いてだ。
その時すでにレコードが出、そのレコードがテレビ、ラジオ
で使われ始めていた。「イレブンPM」という深夜の多少エッチ
な番組で、ストリップダンサーが裸でくねくね身をくねらせて
踊るバックに『産安』が流れたりしていた。

私が始めて海童道を見たのは、テレビでたまたま見たロックの
コンサートだった。信濃川の河川敷で3万人の若者を集めて
行われたロックの祭典。まだモノクロのフィルム映像だった。

ロックの強烈なビートに酔いしれる会場が、突然静まった。
太い孟宗竹を抱えて登場した海童道祖が、その竹に息を入れた
瞬間だった。今まで聞いたことのない竹の響きに3万人の
聴衆が息を呑み、固まったのだ。vsj5

一息で3万人を黙らせる。それこそ神のごとき業だった。
以来、私は海童道のとりこになったが、以来、海童道祖は、
公共の場には決して姿を現さなくなった。住所を調べても
一向にわからない。後で知ったのだが、なんと私の家から
歩いてもいける所に住んでいたのだった。灯台元暗しで
あった。

これも縁がなかったのだろう。もし家を訪ねたとしても、
まず会ってはいただけない。毎日毎日、日参して、本当に
習いたい!、一生続けるという意思を示さなければ、弟子には
してもらえないとのこと。結局、海童道の弟子は横山勝也氏
一人しかいないのだ。私など到底ダメだったろう。

とにかく奇行が多い。学生三曲で「海童道を聴く会」を開催し、
チケットは完売したが、当日、海童道は現れなかった。ドタ
キャンだ。そんな話は他でもたくさんある。フランスのTV局が
招聘したが、法竹(尺八)は一曲も吹かず、おならを自由自在に
鳴らしてみせただけ。おかげでそのディレクターがクビになった
とか。これぞまさに普化の再来なのだ。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください。

「一休と虚無僧」で別にブログを開いています。

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