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平成の虚無僧一路の日記

電気 無しでも 

2011年03月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「原子力発電所も 電気無しでは 処置なし」とは、お笑い草だ。

65年前は、原発も 新幹線も 高速道路もケータイも、テレビも
無かった。自家用車も無かった。それでも“人のぬくもり”が
あった。生きる 喜びがあった。

「ハァーテレビもねぇ! ラジオもねぇ! 車もそれほど走ってねぇ!
 電話もねぇ ガスもねぇ 信号ねぇ あるわけない 電気もねぇ。
 オラこんな村いやだ〜 東京さ行くだぁ。よしッ行くぞう!」

そうして「吉 幾三」が生まれた。この歌が出た時、地元青森では
「東北をバカにすんでねぇ」と非難ごうごうだったそうな。でも
吉幾三が生まれ育った時代は、そうだったという。

私の曽祖父たちは、会津戦争に敗れ、明治2年 下北に移住した。
それこそ、何にもない。米も野菜も実らない 不毛の原野だった。
まず、ブナの木を倒し、家を建てることから 始めた。

鋤鍬など持ったことのない人々が、すべては1からの出発で、
かろうじて生をつないだ。それが、わずか2年。ようやく収穫の
見通しが立ったところで 廃藩置県。青森を離れ、乞食同然に
着の身着のまま 会津にもどった者。東京に出たもの。そこで
また1からの出発。それぞれの道を歩み、苦難を乗り越えて、
多くの会津人が 世に出た。

私の叔父も、福島県一の高額納税者となり、国会議員にまで
なった。そして戦災でまた すべてを失った。

今回の未曾有の震災からも、人々は たくましく 立ち上がる
ことだろう。新たな 希望と 目標に 向かって。

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