人間観察そして恋そして小説も

意志の力 

2017年05月19日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

この記事を目にした人は多いと思う記事から・・・・・・ 米イリノイ州在住で結婚69年目のカップルが22日、手をつなぎながら1時間の間に相次ぎ亡くなった。アルゼンチン出身の夫妻の遺族が米メディアに明らかにした。地元紙デイリー・ヘラルドによると、アルツハイマー病を患っていたテレーサ・バトキンさん(89)が死亡した際、夫のイザークさん(91)は妻の手に触れていた。そしてその40分後に、イザークさんも死亡した。シカゴ郊外のハイランドパーク病院のスタッフは22日朝、夫妻がそれぞれ声をかけても反応せず呼吸が浅くなっているのに気付いた。病院スタッフが2人のベッドを隣り合わせに移動させ、家族が2人の手が触れあうように置いたという。遺族は同紙に、2人が最後は一緒だったと思うと悲しみが和らぐと話している。孫のウィリアム・バトキンさんは「いなくなってほしくない。でもこれが最善の形だった」と話している。夫妻の合同葬儀で娘のクララ・ゲスクリンさんは、「あまりに強く愛し合っていたので、お互いがいなくては生きていけなかったのでしょう」と両親をしのんだ。シカゴ郊外のシャローム葬儀場で司式したユダヤ教のラビ(宗教指導者)バリー・シェヒター師は、「2人は常に愛し合っていた。文字通り最後の最後まで。最後の一秒まで」と称えた。夫妻はイリノイ州スコーキーで子供3人を育て、孫たちとも仲良く過ごしていたと家族は話し手いる。イザークさんはコーシャ(ユダヤ教の決まりに従った)肉の卸売業者で、テレーサさんは主婦でネイリストだった。良い話だ心にストンと落ちる誰の心もあたたかくなる話だ。そんな中フト友人が呟いた。これって心中だよな・・と。一瞬皆怪訝な表情をしたが、皆一斉に否定した。違う、違う、絶対違うと。しかし友人は言う。でも奥さんは自然死だけど、夫はこれ意思の死だろ自らの意思で生きる気力を無くし死んだから意思による心中だと。見方によればそう言えないこともないが、でも違うだろうと・・・そもそも人は意志の力で死ぬことなんてできるのだろうか。『業(カルマ)の法則』にこんな一説がある。『業の主体者は存在しない。ただ行為だけがある。固定した人格は、存在しない。連続的な変化(因果関係)だけがある』この心と身体の分析は、「死」の問題とどのような関連があるのでしょうか? 結局『死ぬ主体者は存在しない。ただ、死という変化だけがある』という結論に至るんですね。動くことも歩くことも変化であり、同様に死ぬこともまた変化なのです。背後に隠れて、動くことや歩くこと、死ぬことをコントロールしている不変な実体は存在しないんですね。この超越した見方を少しずつ磨いていくことによってものごとに対する執着や、「行為の主体者として、私が存在する」という無知が、除々に軽減していくのです。死は単なる変化。変化は超越した自我を持てば起こすことができる。言葉を換えれば、全てをなし得たと自我が悟れば自ずと死の変化をも呼び出すことができると夫のイザークさんは、超越した自我で、自ら死の変化を呼び起こしたのだろうか聞いてみたいものだ冥府に浮かぶイザークさんの魂に。おそらくその横にはテレーサ・バトキンさんの魂が淡くよりそっているんだろうな? にほんブログ村

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