メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

上海大学シニア留学日記

親戚の安否(巨大地震発生六日目) 

2011年03月16日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

夜中12時過ぎ、家内の携帯が鳴る。




やっと、この瞬間、偶然携帯が通じたと言い、宮城県の






家内の親戚のAさんから連絡が入る。






Aさん宅は家族全員無事で家も大丈夫だったとのこと。






Aさんの義理の姉にあたるBさんは家がやられたけれど






無事で、長男とともにAさん宅に身を寄せたという。






しかし、Bさんの嫁に行った長女の安否が解らないという。




















昨日判明した長男だけが無事で両親が行方不明という






Cさん宅は、このAさんの叔父に当たる。






 










家内の近かしい親戚がこんなに生死の危機に瀕して






いることに愕然とする。

















朝から被災地は雪が降っている。被災者はさぞかし






寒さの中で震えていることだろう。










(被災地は雪で厳寒の中にあるのに、東京は好天だ。)





テレビでは福島第1原発の3号機から白煙が上り、




4号機も出火したと報道している。一体いつになったら




放射能拡散の危機を抑えこむことが出来るのだろう。






原発も安全神話は完全に崩れたばかりか、今この




危機をどのように終息させるのか、日本の技術対応力




を世界が固唾をのんで注視している。

















パソコンを開けると、Cさん宅の東京にいる長女から




メールが入っていた。無事が確認されたCさんの長男




とのメールのやり取りの内容を情報として知らせて来た。




このメールに、私の知る他の親戚の安否情報を教えようと






返信を書いていると電話が入る。

















何と一番被害がひどく、楽観視出来ないと思っていた




志津川地区に住むBさんの娘さんからの電話だった。






自分と夫と一人息子と義母が奇跡的に助かって、




中学校で避難生活をしているとの知らせだ。




義父は病院の4階に入院していたそうだが、4階まで




海水が押し寄せ、犠牲となったそうだ。ビルの4階に




いて犠牲になるほど、津波は凄まじかったのだ。






避難所からでは自分が生きていることを親に




伝えられないということだ。















(被災地の困難は計り知れない。)













それでは、東京から何としても伝えるからと励まし




電話を切る。お互い涙声だった。







早速、Cさんの長女への返信メールにそのことを




書き加え送信する。

















午後になって、Bさんから娘の安否を知らせてくれて






有難うというメールが入る。






Bさん、娘の無事を知って、さぞかし安心されたことだろう。






被災地とは電話はまだ滅多に通じないが、メールは




通じるようになった。






それだけでも随分違う。本当に有難い。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ