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説教強盗物語 

2017年05月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

丁度1年前に載せた記事ですが、語りに加えようと思うので、思い出して再度掲載してみます。
以下、去年の記事。
昭和4年の新聞記事に興味深いものを見つけました。
『説教強盗捕物帳』私が生まれる2年前、東京で、超有名だった強盗が逮捕されました。説教強盗こと妻木松吉。子供の頃話に聞いていました。
昭和4年指紋が証拠となって逮捕された時29歳。無期懲役になり、昭和22年憲法発布の恩赦で仮出所を許され、保護司宅に住まわせてもらって、防犯の講演活動をして、老いては老人ホームで88歳まで生きたという風変わりな人物です。(ネットで調べてまとめてみました)
彼の家系は非人として差別されていました。被差別部落民の中でも穢多とも違い、山梨だけにあった「野守」という家系でした。明治34年12月、母親が窃盗で3ヶ月収監されていた甲府監獄内で私生児として松吉は生まれました。父親は間も無く病死。母親は飴売りをして、極貧の中で彼を育てていました。母親は 彼が7歳の時、同じ「野守」の男と結婚します。8人も弟妹が生まれて極貧生活。連れ子の彼は実母にまで虐待されて育ったようです。小学校を出ると奉公に出され、やがて盗みで捕まります。懲役8ヶ月の刑期を終えて上京。左官職人に弟子入りして修行。やがて左官職人として独立。結婚して子供も出来ました。その時、大不況が始まります。関東大震災の後は、左官屋の仕事も多かったのに、ばたっと仕事がなくなり、自身も胸を患って何も出来ず、一家はひどい困窮に陥ります。
そこで始めたのが風変わりな強盗。邸宅に忍び込んで電話線を切り(電話があるなんて金持ちだけの時代)電源も切って懐中電灯を持ち、主人の枕元に座ってタバコをふかし、起こして金をせびる。金を奪っても、逃げるに都合の良い夜明けになるまで、主人に説教をする。「おたくの裏庭は暗いから泥棒は入り易い、犬を飼いなさい」などと、防犯上の注意を与えて、俺が出て行ったらすぐ警察に知らせると良い。電話線は切ってあるから、どこそこの交番まで行きなさい」と言って、朝の街に姿を消す。足が速いのでなかなか捕まりません。こうやって4年間犯行を重ねたので、「説教強盗」とよばれて有名になりました。
しかしついに指紋から足がついて逮捕されると、無期懲役の判決に控訴せず服役。刑務所では、稀に見る模範囚として18年間過ごし、文字を習ったり勉強もしたそうです。(彼にとって、刑務所の中は、食べる心配もなく、シャバよりよほど安心な場所だったのでしょう)
昭和22年新憲法発布の恩赦で仮出所。担当弁護士が保護司を引き受けて、彼を自宅に住まわせてくれました。それからは方々に招かれては、防犯について講演をしたそうです。老いてからは老人ホームで暮らし、平成元年88歳まで生きたとのことです。
でも、彼が逮捕された時22歳の妻は4歳と2歳の子を抱えて・・・どうなってしまったか、どこにも記事がありません。彼は自分の妻子に対して一番ひどい被害を与えてしまったのですね。
それにしても、いわれなく差別された人々の生きにくさ、貧困から這い上がる術の無かった時代。
本当に、差別は悪だなあと思います。今もある様々な差別。昔の悪習を引きずっていないで、差別のない世の中にしなくちゃいけませんね。
この物語、語りに加えます。もう少し練ってから。

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