メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

慶喜

浅野内匠頭名君だったのか? 

2016年12月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



忠臣蔵(赤穂事件)の真実

浅野長矩が接待役をするのは初めてではないのに大きな失敗を繰り返した
吉良は、老中たちの面前で、浅野内匠頭をコメントした
 ☆「内匠頭殿は、万事不調法で、言うべき言葉もない。勅使たちも不快に思われている」と
吉良はその後も執拗に嫌がらせを続けた
原因は賄賂説?(内匠頭 ”賄賂などを送ってへつらうことはない”と送らなかった)
浅野内匠頭は物語の中で、沈着冷静・清廉潔白の名君で描かれている
 ☆浅野内匠頭は名君?
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
記述に誤り不明点あると思います、詳細、出典記事・番組・画像等で確認ください
出典、番組BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)ブログ「日々徒然歴史とニュース、社会」
 ☆番組の画面引用(集中して番組視るので内容良く理解できます












忠臣蔵(番組BS11(尾上松也さんの古地図で謎解き!)番組画面引用)

浅野内匠頭は清廉潔白でない(大名通信簿より)
女好きで、側室を献上すると立身出世すると報告されている
昼も夜も奥で女性と遊び、政治は家老に任せっきり
内匠頭は切れやすい性格?刃傷事件もこの性格が災い?

将軍・綱吉は即日切腹を申し付ける
綱吉は、朝廷の使者を迎える大事な儀式の場を汚されたことに激怒
大名に対してここまで厳しい処分が行われたのは前代未聞でした
吉良は、喧嘩両成敗になることもなくお咎めなし
内匠頭の切腹の場所は、大名としては粗末な場所でした

藩主浅野内匠頭切腹と赤穂藩のお取り潰し
領民たちは、餅をついて喜んだ
 ☆普通年貢は四公六民(赤穂藩は六公四民という税制)
浅野家断絶に当たって路頭に迷う家臣たちに、その年の給料の全額払う
割賦金(退職金)を身分の低い者ほど手厚く配る

四十七士が主君の仇の首をとる
刃傷事件から約2年後、吉良邸に討ち入りし吉良を打ち取る
江戸時代、家臣が主君の仇討ちをしたのはこれ一つです
命がけの仇討ちは、世間で大いに賞賛されました
多くの芝居で、家臣、主君浅野内匠頭が美化されました

吉良邸で応戦した侍の数
吉良邸で旧赤穂藩士と応戦したのは70人強
城内に忍び込んだ旧赤穂藩士は、出入り口にかんぬきを掛けました
200名近い侍は、戦闘に参加することが出来ませんでした
吉良家は、武士としての本分を果たさなかったとして取り潰し

仮名手本忠臣蔵(著近松門左衛門)
江戸城松の廊下で、播磨赤穂城主浅野内匠頭長矩が 吉良上野介義央に斬りかかった事件
2年後旧浅野藩士が吉良邸に討ち入り吉良義央を殺害した
忠臣蔵とは吉良が京都からの勅旨饗応役長矩に意地悪をし
腹を 立てた長矩が刃傷に及び、一方的に処罰をされた
旧浅野藩士が吉良を討って敵を取ったというストーリ

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR





掲載されている画像

    もっと見る

上部へ