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人権デー?現実は遠く・・・・・戦争は人権蹂躙の最たるもの 

2016年12月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



12月10日は「世界人権デー」 なのだそうですね。




世界人権デー。 1950(昭和25)年の国連総会で制定。
国際デーの一つ。1948(昭和23)年のこの日、パリで行われた第3回国連総会で「世界人権宣言」が採択された。「すべての人間は、生まれながらにして自由であり、かつ、尊厳と権利とについて平等である。」で始る全30条と前文からなっている。日本では、この日までの一週間を「人権週間」としている。



65年も前に理想を掲げたのに、なんにも実現していませんね。




人権蹂躙の最たるものは「戦争」です。人権を思うなら、絶対に戦争を始めるべきではありませんね。




1941年の12月10日はマレー沖海戦だったそうです。真珠湾の2日後。太平洋戦争が始まって2日目だもの、日本にもまだ航空機がありましたから、イギリス艦隊の巨大な戦艦「プリンスオブウエールズ」と、「レパルス」を撃沈し、イギリス艦隊は司令長官以下1000人もの戦死者を出したそうです、


戦争って勿体無いことをするものですね。そして馬鹿げている。
あの頃日本はまだ、巨大戦艦大和や武蔵を一生懸命作っていたのですから阿呆らしい話。
どこの国のどんな立派な戦艦だって、航空機から攻撃されたらひとたまりもなく沈没すると解った頃の事でしょう。戦艦が沈めば3000人が海に落ちる。


巨大戦艦造りをやめて、航空機を作るべきだという意見に耳も貸さなかった軍部は、東郷元帥の日本海海戦を忘れられない時代遅れだった?
アメリカは真珠湾以後、自動車工場までも総動員して飛行機を作った。人も物も比較にならないほど豊かなアメリカに、人材も資源もない日本がかなうはずがないのに、日露戦争が忘れられない軍部の妄想が悲劇を生んだのでしょうね。


日露戦争は巨大なロシアに勝った気でいたけれど、あれはロシア帝国に革命が始まろうという混乱の中で、極東の隅っこの方の戦争を続けていられなかった、日本はロシアの端っこに勝っただけでしょう。モスクワまで攻め込んだ訳じゃない。でも国民は戦に勝って世界の一等国になったと思った。
日清戦争で膨大な賠償を取り、八幡製鉄所を作ることが出来た。
10年後、今度はもっと大きなロシアに勝ったのに、ろくな賠償も分捕って来なかったと、外務大臣を責め立てた。


民衆は正確な認識を持てなかった。
それをそのまま引きずって、太平洋戦争を始めちゃったのだなあと、今にして思いますが、その時代の真っ只中にいると、民衆はつんぼ桟敷に置かれて、なにも見えませんでした。




今、私たちは昭和の時代の愚かしさを繰り返してはならないと切実に思いますね。
つんぼ桟敷にいてはだめだと。


マレー沖海戦の日と教えられて、なんでこんな事を書いたのか?
昭和16年12月から、私たち子供まで「・・・沈むレパルス、沈むプリンスオブウエールズ・・・」と、歌って浮かれていたからですよ。戦争は良い事だと思わされていました。「敵が千人死んだってさ、良くやった万歳!」だったのです。


みんなが国に騙され、踊らされていたのです。


今も踊らされたら大変な事になると思います。





今朝は、我ながら愚痴が出るほど大腿四頭筋の具合が悪かったです。
痛いと文句を言っていないで、朝食作りを後回しにして湿布を貼りカイロを貼るべきでした。食事を出してから手当てをして楽になり、順番が逆だったと思いました。
暖かくして落ち着いて、洗濯もたっぷり干して、座って、ブログをたくさん書きました。これから少しずつ体を動かします。
まずは貧乏ゆすりエクササイズ。
椅子で足の屈伸をしてから立って後ろ反り。これが大好き。
今朝テレビで見た、タオルの端を持って、刀のつもりで、袈裟懸けに(斜めに)腕を振り下ろす。腰も撚れて気持ち良さそうです。あとは昼寝するかも。風邪が抜けていないのです。


三輪車で八百屋さんには行きますよ、八百屋さんは明日休みですから。














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