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「米百俵」の逸話 

2016年12月04日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある

長岡藩の藩士小林虎三郎による教育にまつわる故事です
現在の辛抱が将来利益となることを象徴する物語としてしばしば引用されます
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用し自分のノートとしてブログに記載
NHK番組『知恵泉』、WIKIPEDIA参照&引用
 ☆番組の画面引用しています(写しながら番組視ると集中して視るので、理解度高まります)












米百俵(NHK番組『知恵泉』画面引用)

小林虎三郎大参事時代の長岡藩
戊辰戦争で敗れた長岡藩は、約7万石から約2万石に減知された
長岡藩は、財政が窮乏し、藩士たちはその日の食にも苦慮する状態であった
窮状を見かねた長岡藩の支藩三根山藩から百俵の米が贈られた
藩士たちは、これで生活が少しでも楽になると喜んだ

小林虎三郎大参事の対応
贈られた米を藩士に分け与えず、売却の上で学校設立の費用とすることを決定する
藩士たちはこの通達に驚き反発して虎三郎のもとへと押しかけ抗議する
「百俵の米も、食えばたちまちなくなるが、教育にあてれば明日の一万、百万俵となる」と諭す

「国漢学校」開校する(米百俵の売却金で)
洋学局と医学局が設置された
学校は、一定の学力に達した庶民の入学も許可された
国漢学校は、新政府の学制に組み入れられ、阪之上小学校、長岡中学、洋学校、医学校などに分岐
ここから、山本五十六ら多くの優れた人材を輩出していきます

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