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たかが一人、されど一人

自己流解釈 協力・協同について 

2011年02月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

昨日は余暇の楽しみとしながらも、一方健康のための個人の努力について書いた。では己の健康が個人的努力だけで達成可能かと言えばそんなことはない。食事内容とか生活時間の管理を考えると、半分以上家内の協力が不可欠である。小生考えるのが苦手なものだから、個人で行く山登りやハイキングの目的地なんか迄、家内の薦めに従っている事が多い。余暇の娯楽やスポーツは置くにしても、凡そ、何人もこの世で仕事をするには、他人の協力を抜きにして何事もなしえないだろう。個人がしている仕事が他の何人に影響を及ぼし、又は他の何人の協力で成り立つかを、認識するかしないかで生きざまが変わるのは勿論だが、受け取る報酬が違ってくる事に気が付いていない人が多いようだ。大学時代に社会学なるものを専攻したが、中で未だに印象に残っているのが「社会貢献と報酬の相関」で、数学の公式(1+1=2みたい事かな)と同様と教わった。但し、この場合の社会貢献が何を指すかについては些かあやふやで、タイガーマスクの伊達直人でない事だけは確かだ。これも自己流で、自分が所属する組織とか帰属すると認識できる社会とか、勝手な解釈をしている。そして報酬についても、大方の場合は自分以外の誰かが決めるものだから、その分の社会貢献をした、即ち公式通りと納得してきた。ところが、最近の名古屋市議会議員報酬1600万円や、米倉経団連会長の「国会議員は税金泥棒」発言を聴いて、世の中には、公式外れのお手盛りに近い報酬も存在する事に気が付いた。小生も個人企業を立ち上げた所為で、ここ数年は報酬を全てお手盛りで決めている。本当に一人きりなら良いが、最近は代表まで交代してもらっているのだから、一人では何もなしえない。意外に大勢の協力でなんとか会社の態をなしている事を、常に意識するよう心掛けてはいる。独立する迄に4社の会社を渡り歩いた結果、仕事を共にするメンバーの協力関係が、成果に関して重要な意味を持ってくる事だけは確かだ。他人の事は分からないし、世の中の個人個人は千差万別。馬鹿のような奴もいればハサミみたい奴もいる。それが目標を一にして力を合わせると、何かが生まれるのが不思議でならない。成果が構成員の能力の総和で無い事だけは経験的にも知った。しかし大学では協力・協同成果の算出についての公式は教えてもらえなかった。しかし、民主党のように、構成員の目標とするところがばらばらになったら、組織への貢献がそれぞれ減るのだから、それぞれが受け取る報酬が低くなる事は、前述の通り公式化されている。この場合の報酬は選挙の際の票かもしれない。理屈を重ねたが、当たり前すぎてつまらないか。

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