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上杉謙信(長尾景虎→上杉政虎→輝虎→謙信) 

2016年11月13日 外部ブログ記事
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上杉謙信「越後の虎」

戦いの神、毘沙門天の生まれ変わりと自らを称す(生涯の戦い70勝2敗)
知将とも呼ばれ、私利私欲を捨て正義を重んじる武将との美談も多く残っている
戦いに明け暮れた戦国時代に、国を活性化させ、自国を統一していった
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
出典、番組、BS11『せいこうの歴史再考』(経済と結び付ける番組です)、WIKIPEDIA参考&引用
  ☆番組の画面引用(番組を集中して視るので、番組がよく理解できます)














上杉謙信(番組、BS11『せいこうの歴史再考』テレビ画面引用)

上杉謙信の概略
上杉家の下で、越後国の守護代を務めた長尾氏出身
戦国時代の越後国の武将・戦国大名で、「越後の虎」「越後の龍」「軍神」と称される
越後国を統一し、戦や政だけではなく、産業を振興して国を繁栄させた
足利将軍家からの要請を受けて、上洛を試み、越後国から北陸路を西進した
領土も、越中国・能登国・加賀国へ勢力を拡大したが志半ばで死去した
上杉謙信(謙信は法号)で、上杉輝虎と名乗った

上杉謙信と北条との戦い(武田信玄死亡まで)時代
北条氏政は、上杉との同盟を破棄、武田信玄と再び和睦した
上洛の途につく武田信玄は、謙信に背後を突かれないため調略により越中一向一揆を煽動
結果、上杉謙信は、主戦場を関東から越中国へ移すことになる
宿敵・武田信玄が病没して武田氏の影響力が薄らぎ、上洛の意を固める

上杉謙信と北条との戦い(武田信玄死亡後)時代
上洛を目指す謙信の主戦場は、既に関東でなく越中国
上洛への道を開くため、加賀国まで足を伸ばし、越中の過半を制圧した
一向一揆が、謙信が越中から軍を引き上げる度に蜂起するので、越中を自国領にする
北条氏政が、下総関宿城の簗田持助を攻撃する
謙信は、越中平定に集中していたが、救援要請が届くと軍を転じて関東に出陣した
既に、謙信の勢力は、関東では大きく低下していた

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