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平成の虚無僧一路の日記

会津藩からの留学生 その2 

2016年10月22日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



会津藩から海外に留学した人として、山川浩(大蔵)、健次郎、捨松の三兄弟妹がいる。長兄の「山川浩(大蔵)」は、慶應2年(1866)、樺太境界議定会議のため外国奉行小出秀実のロシア渡航に随行した。帰国後、戊辰の役では若年寄、防衛総督として指揮する。戦後は、斗南藩大参事となり移住と開墾に尽力した。明治5年(1872)谷干城の推挙により新政府に仕える。熊本鎮台詰、陸軍少佐。明治10年(1877)西南戦争では、西征別働軍参謀として出陣し、西郷軍を破って熊本城の谷干城を助けた。貴族院議員、男爵。弟の「山川健次郎」は、会津戦争時、白虎隊士として戦った。戦後、長州藩士奥平謙輔の書生となり、また薩摩人黒田清隆の推挙で明治4年(1871)国費留学生として渡米。イェール大学で物理学の学位を取得して帰国。帰国後は、東京帝大、京都帝大、九州帝大の総長となった。

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