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柳生宗矩(新陰流) 

2016年10月22日 外部ブログ記事
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柳生宗矩(一介の剣士の身から大名へ)

徳川家康に招かれて無刀取りを披露し、200石で家康に仕える
将軍徳川秀忠の兵法(剣術)指南役となり大身旗本となった
一介の剣士の身から大名にまで立身したのは、日本の歴史上柳生宗矩だけです
知識・意欲の向上目指し、番組を参考・引用して自分のノートとしてブログを記載
 ☆番組の画面引用
出典、NHK番組「知恵泉」、WIKIPEDIA、参考&引用
 ☆番組の画面引用










柳生宗矩

柳生宗矩


柳生宗矩(誕生から徳川家へ仕官)時代
奈良市柳生町で生まれる
父は、領主から新陰流の印可状を伝えられた剣術家
父の代に、先祖代々の所領が没収されたために浪人となる
徳川家康に招かれて無刀取りを披露し、200石で家康に仕える

柳生宗矩(柳生家再興)時代
家康が上杉景勝討伐での出陣、宗矩もこれに従軍する(会津征伐)
関ヶ原の本戦では本陣で参加した
父の代で失領した、大和柳生庄2,000石を取り戻す
将軍徳川秀忠の兵法(剣術)指南役となり大身旗本となった

柳生宗矩(家光の兵法指南役)時代
将軍家光に時代剣術(新陰流)を伝授する
将軍家光の信任を深めて加増を受ける
初代の幕府惣目付(大目付)となり、老中・諸大名の監察を任とした
その後も功績をあげ、加増を受け、合計1万石を受けて遂に大名に列し、大和国柳生藩を立藩
一介の剣士の身から大名にまで立身したのは、日本の歴史上柳生宗矩だけです
友人の沢庵宗彭を家光に推挙した

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