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「ことごとく雨つぶ砕く」 

2016年10月08日 ナビトモブログ記事
テーマ:俳句ポスト投稿

 俳句集団「宇宙(そら)」は、2015年9月29日、津軽の地に誕生した。

 今のネット社会を踏まえ、俳句作りの研鑽、活躍の場は、専ら「俳句ポスト365」への投稿による。

 「俳句ポスト365」は、愛媛県の松山市が運営する俳句の投稿サイトである。その選者は、TBSで木曜日放送のプレバトでお馴染みの、当代超一流の俳人、夏井いつき先生だ。

 日本全国広しと言えども、俳句作りの学びの場として、「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバト→「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバトといった、言わば循環学校に勝るものはない。

 津軽わさおのこれまでの人生による経験則が、そう言わしめる。だから、俳句集団「宇宙(そら)」は、「俳句ポスト365」への投稿によって、日本全国を視野に入れつつ、挑戦しているつもりである。


  「俳句ポスト365」においては、各回の月曜日から金曜日までのすべてが勉強になる。そのうちでも、とりわけ金曜日発表の天の俳句1句、地の俳句9句及び夏井いつき先生の講評が大変重要だ。その中から、自分の俳句作りとの関連で、何を学ぶか。

  「俳句ポスト365」の第154回 2016年8月18日週の兼題は、「秋薊(あきあざみ)」である。兼題の説明に曰く。

秋薊(秋の季語)「あきあざみ」。キク科の多年草である薊には多くの種類があり、そのうち「山薊」「南部薊」「真薊」など、秋に花をつけるものの総称をいう。単に「薊」と言った場合は春の季語となる。

 津軽わさおは、今回の「秋薊」で、俳句の作り方における「観察眼」について学ぶことができた。


 何事も勉強の意味で、「秋薊」に係る地の俳句8句中の1句及び選者の夏井いつき先生の講評を以下に掲げる。

 ことごとく雨つぶ砕く秋薊  地選   中原久遠     

  「ことごとく雨つぶ砕く」とは何だろう?と思った瞬間に出現する「秋薊」という季語。「秋薊」の花のトゲトゲ、棘のトゲトゲに、無数の小さな雨粒が光ります。「砕く」という動詞の一語に、野生の猛々しさも垣間見える。見事な動詞の選択です。


 以上に関する津軽わさおの勉強したところを以下に掲げる。

 津軽のシニアブロガーにして俳人、津軽わさおは、俳句を始める前から、ウォーキングに取り組んでいる。毎日、1時間以上ウォーキングでのしっかり歩数8,000歩を目標としている。

 ウォーキング時は、車に気をつけながら、俳句作りにあれこれ頭を使って歩いている。歩くのと俳句作りとが同時並行だから、飽きない。

 ウォーキング途中では、さまざまな草花に御目にかかる。秋薊もその一つだ。赤紫の花がスッと立っており、それに似合わずの棘が目に付く。試しに触ってみた。痛い。それも、かなり痛い。

 秋薊を観てそれに触ったのは、ウォーキング途中だから、晴天時である。だから、津軽わさおとしては、雨降り時の秋薊は思いもつかない。

 掲句の「ことごとく雨つぶ砕く秋薊」は、まさに秋薊の雨降り時の情景を詠み込んでいる。

 雨降り→雨粒→秋薊→秋薊の花、棘→雨粒が砕ける=「ことごとく雨つぶ砕く秋薊」

 発想と描写が実に見事である。その根底にあるのは、鋭い観察眼とその基礎にある余裕であろう。

 今の津軽わさおには、雨降り時の秋薊は思い描けない。仮にそれを思い描けたとしても、雨粒とか、棘に雨粒が砕けるとか、そこまでは思い描けない。

 それは、今は、そこまでの観察眼がないからである。物事を通り一遍に見る癖がついてしまっている。シニアになる前までは、そんなではなかった。が、シニアになってからは通り一遍のような気がする。

 しかし、掲句を読みつつ、物事を通り一遍に見るのでは巧い俳句は作れないな、と思う次第である。



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