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「カメラワーク、その3」 

2016年10月04日 ナビトモブログ記事
テーマ:俳句ポスト投稿

 俳句集団「宇宙(そら)」は、2015年9月29日、津軽の地に誕生した。

 今のネット社会を踏まえ、俳句作りの研鑽、活躍の場は、専ら「俳句ポスト365」への投稿による。

 「俳句ポスト365」は、愛媛県の松山市が運営する俳句の投稿サイトである。その選者は、TBSで木曜日放送のプレバトでお馴染みの、当代超一流の俳人、夏井いつき先生だ。

 日本全国広しと言えども、俳句作りの学びの場として、「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバト→「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバトといった、言わば循環学校に勝るものはない。

 津軽わさおのこれまでの人生による経験則が、そう言わしめる。だから、俳句集団「宇宙(そら)」は、「俳句ポスト365」への投稿によって、日本全国を視野に入れつつ、挑戦しているつもりである。


  「俳句ポスト365」においては、各回の月曜日から金曜日までのすべてが勉強になる。そのうちでも、とりわけ金曜日発表の天の俳句1句、地の俳句9句及び夏井いつき先生の講評が大変重要だ。その中から、自分の俳句作りとの関連で、何を学ぶか。

  「俳句ポスト365」の第154回 2016年8月18日週の兼題は、「秋薊(あきあざみ)」である。兼題の説明に曰く。

秋薊(秋の季語)「あきあざみ」。キク科の多年草である薊には多くの種類があり、そのうち「山薊」「南部薊」「真薊」など、秋に花をつけるものの総称をいう。単に「薊」と言った場合は春の季語となる。

 津軽わさおは、今回の「秋薊」で、俳句の作り方における「カメラワーク」について改めて学ぶことができた。


 俳句の作り方における「カメラワーク」について、「俳句ポスト365」でこれまでに学んだことを振り返ってみた。

 まずは、「俳句ポスト365」の第144回 2016年3月31日週の兼題「鮓(すし)」に係る地の俳句中の1句及び選者の夏井いつき先生の講評を以下に掲げる。

 湿原の真中の宿の熟るる鮓   地選  糖尿猫

 広い光景からズームアップしていく手法ですが、それにしてもここまでズームアップするか?!とも思いました(笑)。上五「湿原」ですから、山中でしょうね。その「湿原」の真ん中の「宿」で客をもてなすためにつけられた「鮓」が熟れていく。

 熟れ鮓とは、魚が貴重なものである山国の知恵というやつなのでしょう。夜の風にのって匂ってくる「湿原」の湿りが、「熟るる鮓」と相俟っての一句です。

 この俳句のカメラワークは、広い光景からズームアップしていく手法であり、山→山中→湿原→湿原の中の宿→熟るる鮓と移っていく。言わば、大きい光景からだんだんにより小さい光景へとカメラは映し出していく。

 次に、「俳句ポスト365」の第151回 2016年7月7日週の兼題「鵙の贄(もずのにえ)」に係る地の俳句中の1句及び選者の夏井いつき先生の講評を以下に掲げる。

 火山灰積もり乾ぶる脚や鵙の贄   地選   田中憂馬   

 さまざまに「鵙の贄」の「乾ぶる脚」を見せてもらった今週でしたが、「火山灰(よな)」が降り積もる地の光景に凄みがあります。

 広い光景を思わせる「火山灰」から「脚」へのズームアップ。さらにそれが「鵙の贄」だと分かるサイズへと画面が切り替わるあたりのカメラワーク、巧いなあ。

 この俳句のカメラワークは、?大きい光景から→?小さい光景→?それより小さい光景→? ?よりは大きい光景→? ?の大写し、といった流れで移っていく。具体的には、「火山灰」が降り積もっている地→「脚」→その「脚」は「乾ぶる脚」→「贄 」→「鵙の贄」と移る。

 つまり、ズームの流れは、「火山灰」の地という遠景→「脚」という近景→それが「乾ぶる脚」を示す、より近景→「贄 」であることを観せる中景→「鵙の贄」であることを示す、少しの大写し、といったものである。

 大事なのは、「火山灰」の地という遠景、から瞬時に切り替わって、「脚」という近景に移る点である。読者は、先ずもって、この遠から近への極端な展開に驚かざるを得ない。

 仮に、掲句のカメラワークと違って、カメラワークが、「火山灰」が降り積もっている地→「鵙の贄」→「贄 」→「乾ぶる脚」と流れるのであれば、読者の驚きは、緩和されたものになるだろう。


 何事も勉強の意味で、「秋薊」に係る地の俳句8句中の1句及び選者の夏井いつき先生の講評を以下に掲げる。

 秋薊挿され牧場のミルク缶    地選  雪うさぎ    

 この「秋薊」は丈の高い薊なのでしょう。「牧場」で使っていた古い「ミルク缶」に飾っているのではないかと思います。

 「秋薊挿され」から「牧場」へと光景が広がり、そのあと一気に「ミルク缶」へと焦点が絞られ、再びそこに「挿され」ている「秋薊」が立ち上がってくる。鮮やかな構造の作品です。

 以上に関する津軽わさおの勉強したところを以下に掲げる。

 掲句の流れをカメラワーク的に捉えれば、まず、「秋薊挿され」が写る。「秋薊挿され」の段階まででは、何に挿されているのかまだ分からない。

 その次に、カメラは、「牧場」へ切り替わる。そのあと一気に「ミルク缶」へと焦点が絞られる。で、そこに「挿され」ている「秋薊」が立ち上がってくる。

 「秋薊挿され」→「牧場」→「ミルク缶」→「秋薊挿され」・「ミルク缶」、の掲句の流れとカメラワークである。

 俳句の作り方における「カメラワーク」には、いろいろなやり方があるということだろう。具体の作句においては、最も効き目のある方法を吟味しなければならない。



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