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吾喰楽家の食卓

昭和33年3月31日 

2016年09月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:古典芸能

私より年上の男性なら、昭和33年3月31日が何の日か、直ぐにお判りだと思う。
赤線の火が消えた日である。
私は小学生だった。
とはいえ、高学年だったので、おぼろげながら、その日のことを覚えている。

昨日の国立名人会は、第400回記念だったからか、錚々たるメンバーが揃った。
青空球児(漫才協会会長)、一龍斎貞水(講談協会会長)、柳亭市馬(落語協会会長)などである。
そして、トリは落語界で最古参の三遊亭金馬だ。
落語が好きでなくても、小金馬時代、NHKテレビの「お笑い三人組」に出演していたので、ご存知の方が多いかもしれない。

歩き方こそ遅いが、金馬は元気な様子で高座に上がった。
早速、「待ってました!」の掛け声が掛った。
釈台を使っての高座である。
通常、江戸落語では釈台を使わない。
座蒲団を畳んで、椅子代わりにし、乱れた膝元を釈台で隠していた。
マクラの冒頭、膝を傷めて正座できないことを詫びた。
現在、数えで88歳、芸歴76年だという。

マクラは、「昭和33年3月31日・・」と、話題が替わった。
前日の桂歌丸も、この日に触れたので、合点した。
廓噺に相応しい、マクラの話題である。
歌丸は『紺屋高尾』、この日の金馬は『品川心中』だ。
高尾が居た吉原は、周囲が塀に囲われていたので廓と呼ばれていた。
街道筋にある品川は、廓ではなく岡場所と云うが、廓噺に分類してよいだろう。
肝心の噺だが、カセットテープで散々聴いた古今亭志ん生とは趣は異なるが、金馬も中々いい。
何よりも、元気な語り口が嬉しい。
これからも、元気で活躍することを願っている。

   *****

写真
9月25日(日)の昼餉(上海焼きそば)と国立名人会の演題



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パトラッシュさんへ

吾喰楽さん

こんにちは。

当初のタイトルは、『第400回記念 国立名人会』という、極めて平凡なものでした。
途中で気が変りました。
読者が解読に苦しむ文章はいけませんが、タイトルなら構わないだろうと、考えた次第です。

市川房江さんが居なくても、何れ成立した法律だと思います。
とはいえ、彼女の尽力が、それを早めたことは間違いありません。
私も、彼女の政治姿勢に共感していました。

2016/09/26 12:04:08

はて?……

パトラッシュさん

東京大空襲ではなし、新幹線の開通ではなし……
一瞬首を捻りました。

ああ、それでしたか。
私が、高校二年ことでした。
サッカー部の先輩OBが、グラウンドで、その話をしておりましたが、
何のことやら、わかりませんでした。
ただそこに、淫靡な臭いが漂い、何となく、察することは出来ました。

今思えば、まったく、ひどいものです。
純真な高校生の前で、買った女の話を、得意気にするのですから。

売春防止法の成立に尽力されたのは、市川房枝さん。
第二院クラブを作り、長年、参議院議員を務められました。
赤線を懐かしむ、一部の男からは、怨嗟の声も上がりましたが、
時代遅れの悪弊が、存続するはずもありません。
あれでよかったのでしょう。

ちなみに、私は市川さんに対し、当然のように、怨嗟などなく、
むしろ、その政治姿勢には、共感することが多く、
参議院選では、東京地方区でもあり、何度も投票しました。

すみません、落語の話をしようと思いながら、脱線に終始してしまいました。

2016/09/26 09:49:03

沙希さんへ

吾喰楽さん

おはようございます。

その後、吉原はソープランドに転業した店もあるようです。
行ったことは、ありませんが。

年齢や真打ち歴でいうと、桂米丸さんが少し上になります。
何れにせよ、88歳で現役とは、凄いですよね。

昨日は、小学生の兄弟と思しき二人が来ていました。
私は学校に上がる前から、落語を聴いていました。
彼らも、それなりに落語を楽しんだのでしょう。

2016/09/26 08:37:38

赤線

さん

おはようございます。

私はまだ三歳の女児でしたから、勿論知りません。
と、言うか、私が生まれた頃にも赤線があったということに驚きました。
吉原も江戸期だけかと思っていたくらいです。
明治になっても存続していたのですね。

八十八歳でまだ現役、凄い方もいらっしゃるのですねぇ!
この週末は、二日続きの落語を堪能できてよかったですね。^^

2016/09/26 08:12:03

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