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平成の虚無僧一路の日記

田宮虎彦 『足摺岬』 

2016年09月18日 外部ブログ記事
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「田宮虎彦」と「寺田寅彦」どうやら勘違いしていた私。
田宮 虎彦は 1911年〜1988年 昭和初期の小説家。
寺田寅彦は 1878年〜1935年 物理学者で随筆家 
二人とも高知県に関係ある。二人とも東京生まれだが 父親が高知県出身。
短編『足摺岬』は 田宮虎彦でした。書かれたのは戦後まもない昭和24年。
自殺願望の東大生が足摺岬に向かう。
「その時、私は自殺しようとしていた…何となく死にたかった…身体も弱かったし、
金もなかった。大学を出たところで むなしい人生しか残されていないことが、
既にのぞき見ていた世の中から私には はっきりわかっているように思えていた」。
敗戦の虚脱感からか? 私には 戦後の復興の槌音が響き、明るい未来が予言されて
いた時代と思われるが。?
死に場所を求めて、足摺岬までやって来た青年は、結局死ねず、宿に戻る。
そこで、持病が再発して寝込み、宿で出会った人々の看護を受けることに。
遍路の老人は、「生きることは辛いものじゃが、生きておる方が なんぼ よいことか」と
諭す。宿の人たちは 青年が自殺志望であることを 見抜いていた。
宿の娘の八重さんも。くったくのない明るい性格の八重さんに 青年は心癒され
自殺をやめ、東京に帰る。
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?三年後、八重は男と結婚し、東京で暮らすようになる。八重の結婚は、幸せでは
なかった。路地奥の家に住んで、貧困の中、夫からうつされた胸の病で死ぬ。
「つややかな若さにみなぎりあふれていた陽灼けした肌」の、あの八重が
死ぬのである。青年に自殺を思いとどまらせたあの八重さんには、仕合せになる
権利があるのではなかったのか・・・・。それがこの小説のエンディング。
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昭和29年、『足摺岬』が映画化される。こちらは 新藤兼人によって脚色され
かなり内容が異なる。青年も八重さんも東京で知り合い、さまざまな事件に
巻き込まれ、二人は社会に絶望して 八重の故郷 足摺岬に帰っていく
という筋立て。
たぶん、この映画によってであろう。足摺岬は しばらくは自殺の名所として
有名になり、自殺者が後を断たなかったそうな。
田宮虎彦が『足摺岬』で書いたことは 自殺を思いとどまる話だったのにである。
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ついでに、田宮虎彦は 足摺岬には 行ったことがなかったとか。小説では 暗く
重苦しい、恐怖の断崖絶壁だが、実際の 足摺岬は 南国の日差しと潮風に乗って
実に明るい岬だった。
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