メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

大橋鯛山氏のブログに私の名が 

2016年09月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



尺八の販売売り上げで日本一を誇る大橋鯛山氏のブログに私のことが書かれていました。
一部をコピペさせていただきます。
「尺八もホンの40年前までは老舗の暖簾が何より大事でした。
何々流、何々会に属していないとイロイロな支障が有りました。
当時の技術水準では、間違いなく尺八で日本の最高レベルにあった
牧原伸一郎さん、今の一路さんですが、彼だって暖簾を問題にされて、
腹立ちのあまり、「僕腹立つよ」で牧原龍世(ボクハラタツヨ)を
名乗ったという有名なエピソードが有ります。
私も地方の尺八吹きに頼まれて琴古流の免状を乱発した事が有ります。
「演奏会に出て会に所属してないと下っ端あつかいを受けるんですよ」。
「フーンそうですか」。
「私達も先生扱いを受けたい」。
「 なら簡単ですよ。自分で名乗れば良いじゃないですか」。
「そんな事は出来ませんよ」。
?「大丈夫です」。
尺八界の事情を知っていれば何の問題も無いと分かります。都山流はダメ。
琴古の〇〇会と名乗れば「琴古流」だと言うだけで信用されます。
今では「免状をもって先生と呼ばれたい」という様な純情な人もいなくなりました。
「ちゃんと修行しない輩が増えると尺八がすたれる」とも、もう聞かなくなりました。
「ちゃんと修行」して尺八をすたれさせた人が多いですからね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
大橋鯛山氏の記憶力はすごい! 当の私は「牧原龍生(ボク ハラタツヨ)」と
名乗っていたことも忘れていました。そうでした。私の師「堀井小二朗」氏も
邦楽会の家元制度にまつわる因習を批難し、流派を名乗らず、弟子に免状も
出しませんでした。当時、宮田耕八朗氏や村岡実氏が 独自の世界を切り開き
実力で単独活躍していましたから、私も一匹狼で活動していました。
ところが、何々流の師範免状が無いと、実力はあっても糸方では全く認めてもらえません。
演奏会にもださせてもらえません。出させてもらえたとしても、ブログラム順は
他の尺八家の後、末席です。それで、私は、そうした家元制度に反発して「牧原
龍生(ボク ハラタツヨ)の尺八名で、現代音楽畑で結構仕事がありました。なにせ
当時、洋楽系の作曲家が五線譜でどんどん作曲されるのですが、五線譜が読める
尺八師範はほとんどいませんでしたから、私でも引っ張り凧でした。
「龍生」は、実は私の使用している愛管の銘が「龍生」(藤原龍生)でしたので
そこから付けたものです。
?

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ