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杜の都仙台(伊達政宗) 

2016年09月03日 外部ブログ記事
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仙台を理想郷にした伊達政宗

仙台藩は、石高62万石(加賀藩、薩摩藩に次ぐ全国第3位)
仙台藩とエスパーニャとの通商を企図
桃山文化の荘厳華麗に、北国の特性が加わった様式を生みだす
興味ある番組でしたので、個人の知識・意欲向上目指し、参考・引用しブログに記載しました
 ☆番組の画面引用しています
視聴した番組、BS11『せいこうの歴史再考』(経済と結び付けるので、私の好きな番組です)




















伊達政宗(『せいこうの歴史再考』番組画面引用)

伊達政宗を藩祖とし、仙台藩誕生
石高62万石は加賀・前田氏、薩摩・島津氏に次ぐ全国第3位です
仙台城は山城で天然の地形を利用した防御の城です
仙台の城下町は全面的な開発で、100万人を動員した大工事

政宗、仙台藩とエスパーニャとの通商を企図
仙台領内において、エスパーニャ国王の協力により、ガレオン船を建造した
政宗は、家康の承認を得ると、ルイス・ソテロを外交使節に任命
政宗は、家臣・支倉常長ら一行180余人をメキシコ、エスパーニャ、ローマへ派遣した

政宗、運河整備・領地の開発
北上川水系の流域を開拓、現代まで続く穀倉地帯とした
仙台藩の表高62万石ですが、内高74万石の農業生産高を確保した
北上川の河口に石巻港を設け、石巻から海路江戸へ米を移出する体制が整う
仙台米が、江戸に輸出され、江戸三分一は奥州米と言われた

政宗上方の文化導入
桃山文化に特徴的な荘厳華麗さに北国の特性が加わった様式を生みだす
国宝大崎八幡宮、瑞巌寺建造、又陸奥国分寺薬師堂などの建造物を残した

仙台藩と徳川幕府の関係
政宗は、2代将軍徳川秀忠、3代徳川家光の頃まで仕えた
家光が参勤交代制を発布し「今後は諸大名を家臣として遇す」と述べた
政宗は、「命に背く者あれば、政宗めに討伐を仰せ付けくだされ」と申し出たため、誰も反対できなくなった
病をおして参府した政宗に、家光は伊達家上屋敷に赴き政宗を見舞った

徳川家光は、祖父家康を敬神
家光は、伊達政宗を尊敬し「伊達の親父殿」と呼んだ
二条城へと参上する際、御三家でも許されなかった紫の馬の総を伊達に与えた
家光個人が、政宗に向けた処遇は、外様を遇する程度を超えていた

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