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「けたけた笑ふ」   

2016年08月26日 ナビトモブログ記事
テーマ:俳句ポスト投稿

 俳句集団「宇宙(そら)」は、2015年9月29日、津軽の地に誕生した。

 今のネット社会を踏まえ、俳句作りの研鑽、活躍の場は、専ら「俳句ポスト365」への投稿による。

 「俳句ポスト365」は、愛媛県の松山市が運営する俳句の投稿サイトである。その選者は、TBSで木曜日放送のプレバトでお馴染みの、当代超一流の俳人、夏井いつき先生だ。

 日本全国広しと言えども、俳句作りの学びの場として、「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバト→「俳句ポスト365」→夏井いつき先生→プレバトといった、言わば循環学校に勝るものはない。

 津軽わさおのこれまでの人生による経験則が、そう言わしめる。だから、俳句集団「宇宙(そら)」は、「俳句ポスト365」への投稿によって、日本全国を視野に入れつつ、挑戦しているつもりである。


  「俳句ポスト365」においては、各回の月曜日から金曜日までのすべてが勉強になる。そのうちでも、とりわけ金曜日発表の天の俳句1句、地の俳句9句及び夏井いつき先生の講評が大変重要だ。その中から、自分の俳句作りとの関連で、何を学ぶか。

  「俳句ポスト365」の第151回 2016年7月7日週の兼題は、「鵙の贄(もずのにえ)」である。兼題の説明に曰く。

鵙の贄(秋の季語)「もずのにえ」。肉食の小鳥である鵙が、その習性として、捕らえた虫や、蛙、蜥蜴などの小動物を木の枝などに刺しておいたもの

 津軽わさおは、今回の「鵙の贄」で、俳句の作り方における「確かなテクニック」を学んだ。


 何事も勉強の意味で、地の俳句9句中の1句及び選者の夏井いつき先生の講評を以下に掲げる。

 速贄やけたけた笑ふやうに脚   地選   ウェンズデー正人        

  「鵙」の傍題にある「鵙の贄」は、さらに「速贄」とも呼ばれます。この句の工夫は中七から下五にかけての擬人化。

  「けたけた笑ふ」で誰かが笑っているのかなと一瞬思うのですが、「〜やうに脚」という措辞によって、まさに「脚」が見えてきます。

 私は、乾いたカエルの「脚」が風に揺れているさまを想像しました。擬人化の表現が、そのまま形状の描写に転化している点が、確かなテクニックです。


 以上に関する津軽わさおの勉強したところを以下に掲げる。

 掲句の特徴の最たるものは、「季語との距離間」が極めて近いことである。その「季語との距離間」は、目と鼻の先ほどに近いものであり、言わば「鵙の贄」の贄そのものを描写している句である。

 夏井いつき先生が想像されることを前提とすれば、作者は、「鵙の贄」の贄として、カエルを設定している。

 この場合、鵙は、その習性として、捕らえたカエルを木の枝に串刺しにした。絶命に至るまでのカエルは、串刺しにされた状態で、「脚」を動かす。

 先生は、乾いたカエルの「脚」が風に揺れているさまを想像したとしている。つまり、絶命したカエル、その乾いた「脚」が風に揺れているさまだ。しかし、どうしてどうして、作者は、それのみならず、というか、おそらく、まだ生きているカエルが「脚」を動かす状態を詠み込んでいるのだ。

 どういうことか。それは、作者は、まだ生きているカエルが、苦痛のままに「脚」を動かしている状態を見て、「けたけた笑ふ」と形容しているのだ。津軽わさおは、そのように見る作者の感性に驚く。

 ただし、作者は、まだ生きているカエルが「けたけた笑ふ」と直接的に表現しているのではない。あくまでも、「けたけた笑ふ」「やうに脚」である。

 しかし、作者にとっては、実際のところは、「速贄やけたけた笑ふ」が本意なのかもしれない。それだと、上五と中七で終わってしまう。したがって、下五の「やうに脚」が続く。

 ここが重要な点であるが、作者の本意が「速贄やけたけた笑ふ」にあると見れば、掲句の凄みが増す。

 夏井いつき先生は、「けたけた笑ふやうに脚」の表現について、「擬人化の表現が、そのまま形状の描写に転化している点が、確かなテクニックです」とおっしゃるのだが、津軽わさおは、テクニックのみならず、作者の感性の凄さに感心する。

 なお、今回の「鵙の贄」において、次に掲げる句が入選していることを付記しておく。

 けたけたと笑ふ山姥鵙の贄   人選   どかてい



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