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雑感日記

フジヤマのトビウオ 古橋広之進さんと 橋爪四郎 さん 

2016年08月08日 外部ブログ記事
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★ リオ五輪が始まった。
競泳萩野が日本新で金、瀬戸は銅 リオ五輪
と言うニュースが流れたので、
旧い旧い話だが、フジヤマのトビウオ 古橋広之進さんと 橋爪四郎さんのことを思いだした。
1948年と言うから、昭和23年のことである。
私は、中学3年生だから、よく覚えているが、間違いなく圧倒的に世界の1番・2番だったのである。 泳ぐたびに世界新記録で、それも圧倒的に早くて、日本中が湧いたのを覚えている。
そんな記事を見つけたので、そのままご紹介してみたい。
 
 
 
   
 
 
 
 
伝説の「トビウオ」橋爪四郎氏が、日本競泳陣に64年ぶりのロンドン五輪への「リベンジ」を託した。故古橋広之進氏(享年80)との金、銀メダルが確実視された48年(昭和23年)ロンドン五輪は敗戦国を理由に出場がかなわず。五輪と同じ日程で行われた日本選手権1500メートル自由形で盟友とともに驚異的な世界記録を出した橋爪氏は、思いの詰まったロンドンで複数の日の丸が揚がることを願った。
 橋爪氏は64年前のことを鮮明に覚えている。日大の同期だった古橋氏とともに記録を伸ばし、ロンドン五輪でのワンツーフィニッシュにも自信があった。ところが、48年の4月に届いた英国の決定は「日本の参加は認めない」だった。
 橋爪 悔しかった。日本水連の幹部は、僕らにメダルを取らせるために頑張ってくれた。手を尽くしてくれたけど、敗戦国だからダメだと。「プリンス・オブ・ウェールズ(マレー沖海戦で日本軍に撃沈された英国戦艦)を忘れるな」なんて、冗談じゃないよね。
 目標を失った2人に、日本水連は仰天プランを用意した。日本選手権を五輪と同日、同時刻に開催。記録で世界と勝負しようというのだ。橋爪氏らは記録更新を目指し、さらに厳しい練習を続けて大会に臨んだ。
 橋爪 僕は4人兄弟の末っ子。戦争から帰った父と兄たちが元気なくて、見てられないわけですよ。だから、自分はスポーツで外国に勝とうと誓った。古橋をライバルだと思ったことはないですね。2人で外国の選手に勝ちたかった。
 48年8月6日、神宮プールは超満員だった。ふんどしが認められなかったために日本水連から支給された競泳パンツで、2人は五輪優勝記録をはるかに上回る世界新をマークした。
 橋爪 食べるものはサツマイモばかり。パンツは水を吸って重くなり、泳ぎにくかった。それでも、タイムは出た。古橋がインタビューで「オリンピックの優勝タイムは、ずいぶん遅いなあ」と言った。そのくらい、強かったんですよ。
 翌49年、全米選手権に招待され、ここでも古橋氏とともに世界新を連発。敗戦で落ち込む日本国民に勇気を与えた。「フジヤマのトビウオ」古橋氏は国民的なヒーローとなったが、52年ヘルシンキ五輪では体調を崩して8位。橋爪氏も金メダルを逃して銀だった。
 橋爪 本当に48年は出たかった。今でも思いますね。自分が出られなかったからこそ、今回に期待しています。金メダルのチャンスはある。できればワンツー。(男子平泳ぎの)北島と立石に取ってほしい。
 五輪で泳ぐことを拒絶された悔しさは64年間、忘れたことはない。橋爪氏は3年前に急逝した古橋氏の思いも胸に、ロンドンでの水泳ニッポンの活躍を待ち望んだ。【荻島弘一】
 
◆48年全日本水上選手権 東京の神宮プールで8月5日から4日間「ロンドン五輪に挑戦」と銘打って行われた。「選手、役員、観客が打倒五輪で1つになった」(橋爪氏)異様な雰囲気の中、2日目の男子1500メートル自由形決勝で古橋と橋爪が大激戦を展開。古橋が18分37秒0と世界記録(18分58秒8=天野富勝)を20秒以上更新して優勝し、橋爪も18分37秒8で世界記録を上回った。ロンドン五輪の優勝タイムは19分18秒5(マクレーン=米国)。古橋は最終日の400メートルでも世界新。連日の快記録に日本は沸き返った。
 [2012年5月31日1時13分 紙面から]
 
 戦後、まだ食糧難の時代、よく頑張ったなと思う。

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